Up Siebold, Heinrich 1854-1908 作成: 2016-11-22
更新: 2018-11-02



  • Ethnologische Studien über die Aino auf der Insel Yesso. 1881.
    • Zeitschrift für Ethnologie / Organ der Berliner Gesellschaft für Anthropologie, Ethnologie und Urgeschichte, Suppl., P. Parey 1881.
    • 『小シーボルト蝦夷見聞記』, 原田信男他 訳注、平凡社〈東洋文庫597〉、1996

  • 参考Webサイト・参考文献



    『小シーボルト蝦夷見聞記』より: ────────────────────────────────────── <性格>

    31  ここで、よく知られている探検旅行者マルテン・ゲリッツェン・フリース氏が、既に一六四三年 [寛永二○] に蝦夷へ旅行した際に、アイヌについて述べた、次のような言葉が思い起こされる。
      「濃い髭と長い髪の毛によって、彼らの外観が野蛮であるように見える。
      しかし、彼らを洗練された人々と考える以外にないほど、彼らは余所者に対して素直で純朴な態度をとる」。

     私はしばらくの問、アイヌと一緒に暮らしたことがあるが、その時の回想がもっともよく当てはまる、ラ・ベルーズ氏とクルウゼンシュテルン氏の言葉だけを、繰り返したいと思う。
      「彼らの風俗習慣は非常に温和であり、もし彼らが牧人であったとすれば、古代ギリシア人についての私のイメージは、決して彼ら以外に求めることができない。」
        『ラ・ベルーズの旅行』(Voyage de Laperouse) 第二巻

      「和合、大人しさ、親切心、厚意、謙虚──これらの本当に珍しい特質は、すべて洗練され た文化によるものではなく、単に彼らの自然の性格の表現であり、これらによって、私は今ま で知っているあらゆる民族のうちで、アイヌがもっとも良い民族である、と思うようになった。」
        『クルウゼンシュテルンの世界旅行』(Krusenstern's Reise um die Welt) 第二巻

    しかしただ、他の様々な国々の場合と同じように、彼らに及ぼす文明の影響には、いろいろな点で良い性質よりも、むしろ悪い性質を発展させる、という堕落的傾向が存在している、とはっきり言わねばならない。
    今でも既に、蝦夷を支配している和人と、一緒に同

    32
    じ村に住んでいるか、もしくは和人とたびたび交際しているアイヌと、逆に和人と関係しないアイヌとの間には、その性格と行動に大きな違いがある、ということに気づいたのである。
    というのは、抑圧され続けたために、素直で優しいアイヌが、変にへつらって礼儀正しいアイヌになってしまっているのである。

    p.33
     この民族の全体としておとなしい性格には、ふさぎ込んで深刻なところもあり──いわば、失われつつある豊かな自然や自分たちの暮らしぶりや伝統・文化などに対して、深い悲しみを体現しているようなところがある。 彼らは、どんな親切な言葉でも、一つ一つ感謝に満ちた態度で受け取る。 いわばその言葉の意味を、できるだけ味わうように、その言葉を繰り返す様子を見て、私も感動を覚えたのである。
     和人の移住によって、蝦夷地の人口は年々増大しつつあるが、確かに、このことはアイヌの生活をよりよくするのに、何ら役だってはいない。
    アイヌたちは、和人に対して、始終恐怖を抱きながら暮らしている。
    それどころか、和人によって、きわめて侮辱的に取り扱われることも、残念ながら何度も観察するところであった。
    和人はアイヌを、かなり軽蔑した意識で見下している。
    それゆえほとんどの場合、彼らがアイヌに示す範が、敬意の念を引き起こすに適した行動ではないことに、和人は気がつかないのである。
     アイヌが、あらゆる機会に私に述べたことは、この民族が切望しているのは、ただ以前の

    p.34
    ままに暮らさせてもらいたい、ということである。
    彼らは、自分の粗末な小屋を、日本風に建てられた木造家屋より優先させ、弓と矢を鉄砲よりも使いこなして頼りになる狩
    猟道具とし、毛皮や靭皮製の衣装はウールや綿の織物より実用的だ、と私に発言しているのである。


    ────────────────────────────────────── <ワイルド>

    pp.39, 40
     身体の手入れに関しては、アイヌほどこのことに時間を費やさない民族は、まずいないだろう、と私は考えるようになってきた。
    ‥‥‥
    全身を洗うことは、たとえば漁携を行なう時や、川を歩いて渡る時のような機会にしか起こらないらしいのである。
    自分の身体を洗うことによって、きれいにしようとする心配りを、彼らは持ち合わぜていない。
    その上、まったく同じように、衣服や道具をきれいにすることも必要がない、と考えている。
    このため、煙で真っ黒になっているとか、他の何らかの理由で汚くなっていることが多く、たいていは見かけがとても宜しくない。

    p.47
     小屋の中では、すべての物が煙で黒くなっている。
    そのことは別としても、全体がかなり不潔であるため、特に天気が悪く、すべての窓を筵で覆っている時には、小屋の中に居ることが非常に不快となる。
    また、どんな温度でも構わずに滞在する「小さな跳ねる住民」のノミはいつもいるが、暖かい季節には、類が友を呼ぶように、蚊やヤスデなどの煩わしい虫も家につく。
    しかし、(これらに非常に悩ませられる乳飲み子を別とすれば) 親切な母なる自然は、これらに対してアイヌをまったく無反応にさせてくれたようである。

    ────────────────────────────────────── <住>

    p.49
     アイヌの村落は、非常に魚の多い川の付近か、もしくは鳥獣の多い山の谷間に設けられている。
    小屋が 15〜20 軒以上にも達するような村は滅多に存在しない。
    一つの小屋の居住者の数も、それぞれ 8〜10 人ぐらいである。
    村落の周辺には、いくつかの畑があり、それらは畑とも呼べないような状態のものであるが、ここには鳥獣からの被害を防ぐために、囲いをめぐらしている。
     山地に住んでいるアイヌは、鰯の漁撈の時期になると海岸へ移動し、そこで葦を使って、あまり大きくはないテントのような小屋を建てる。

    ────────────────────────────────────── <食>

    p.85
     アイヌは、一種のスープを主食としており、鹿や熊やほかの野獣の干した肉か、もしくは、その新鮮な肉をいろいろな野菜や根菜といっしょに茹でて、スープを作るのである。
    このスープは、一日二回、すなわち朝と晩に食べる。
    川か海の岸に住んでいるアイヌは、干した魚も新鮮な魚も喜んで食べるし、それに必ずたくさんの酒も飲む。
    和人を通じて入手する米は、アイヌの食べ物の中では、きわめて副次的な役割しか演じない。
    彼らは稗のほうが好きであり、いくつかの種類を自分で作っている。
    貝やカニからも料理を作るが、調理法のせいで、食欲をそそるものではない。
    お茶は、和人によって初めてもたらされた。
    ‥‥‥
    日本の芋もヨーロッパの芋も、蝦夷で豊かに実り、アイヌには人気がある。
    揚げ物には、鰯の一種の油、または鹿や熊の脂も使われる。