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小内純子 (2014), pp.79,80
第2項 新聞「アヌタリアイヌ」
もう1つ調査対象地である伊達地域に深くかかわる新聞として「アヌタリアイヌ」が存在していた。
1973(昭和48)年1月に札幌で開催された「全国アイヌ語る会」をきっかけに、アイヌの若者自身によって発行されるようになった新聞である。
「アヌタリアイヌ」には「われら人間」という意味が込められている。
創刊号の「編集後記」には、「人々がわたしたちを“アイヌ”と呼ぶ、その“アイヌ”という意味が、わたしたちの生き方を拘束しているものとなっている状況」「この状況としての“アイヌ”こそわたしたちの問題である」という基本的な立場が表明されている。
1973年6月1日に創刊され、1976年3月31日発行の第19・20合併号まで約3年間に18回(2回の合併号を含む)発行されている。
第5号までは、平村芳美刊行会代表、佐々木昌雄編集責任という体制をとっていたが、体調不良という理由で理論的支柱であった佐々木氏が退いて以降、女性中心で発行されている。
とくに、第10号以降は女性3、4人で編集されておりその点も興味深い。
専従スタッフはおらず、ほかに仕事をしながらの作業であり、なかには勤労学生という人もいたことが記事からうかがい知ることができる。
発行所は札幌市に置かれていた。
この新聞は、伊達火力発電所建設に反対する運動について継続して取り上げている点で、伊達地域との関係が深い。
そもそも創刊号の1面と2面は「有珠の海を汚すな! 伊達火力発電所建設に反対するアイヌの漁民たち」という座談会の記事で始まっており、この運動の盛り上がりが新聞の発行になんらかの影響を及ぼした面があったと思われる。
この運動は、1970(昭和45)年4月に北海道電力が伊達に火力発電所を建設すると発表したことに始まる反公害運動である。
それ以来、有珠の漁民を中心に反対運動が展開され、アイヌの漁民の多くもこれに参加している。
1973年6月13日には反対する漁民らを力づくで排除して工事は強行着工されるが、その後も反対運動は20年余りも続いていく 5 )。
「アヌタリアイヌ」には、第14号で再び1面に「伊達火発 有珠漁民が海上阻止」という記事が掲載されているほか、ほぼ毎号でその経過を知らせる記事が取り上げられている。
「運動体の機関紙」としての性格を持っている。
また、第3号(1973年9月1日発行)の記事によれば、北海道ウタリ協会の総会で、伊達支部から「北電火力発電所強行着工に対して、協会として統一見解を出し、強力に反対運動を盛り上げてほしい」という動議が提出されたが、「ウタリ協会は福祉団体だから、政治的発言はすべきでない」という理由で黙殺されたという。
そこから同号には、編集部による「北海道ウタリ協会の体質を改めよ」という記事が掲載され、自らを福祉団体と性格づけるウタリ協会に対する批判を展開している 6 )。
「アヌタリアイヌ」がウタリ協会とは一線を画する編集方針をとっていることがわかる。
ただし全面対決・全面否定という訳ではなく、ウタリ協会の総会の様子や予算の記事のほか、最終号では、「ウタリ対策を総括する」というタイトルでウタリ協会理事の小川隆吉氏のインタビュー記事を掲載しており、内部からの改革を試みようとしていたと思われる。
「アヌタリアイヌ」は、当初月刊で8頁の新聞を目指したが、実際は約3年間に18回発行され4頁の場合が多い。
しかし、北電火力発電所関連の記事のほかにも、特集記事や「“エカシ・フチ”を訪ねて」「チャランケ」といった連載コラムなど読み応えのある記事が紙面を埋めている。
また、毎回の「編集後記」からは財政的、精神的、肉体的に新聞を発行し続けることが容易でないことがひしひしと伝わってくる。
編集の自由を守るために特定のスポンサーをもたず、購読料と寄付と身銭を切っての発行は赤字を膨らませていったようである。
また、誹謗中傷や脅しも絶えず、時に警察の訪問も受けていたようで、精神的なストレスも相当なものであったことがうかがわれる。
もちろん他に仕事をもっての活動が、肉体的にも大きな負担となっていたことは容易に想像できる。
このように、機関紙や新聞の発行は短命に終わることが多い。
短命に終わる原因の1つは財政問題であることは間違いない。
ただそれだけではなく激しい差別に晒され、内部も決して一枚岩ではない先住民族の人たちが、新聞や機関紙を発行し続けることには、別の難しさが伴っていることがわかる。
北欧では、新聞や雑誌が先住民族メディアとして大きな力を持っていることが明らかになってきている。
「継続して発行するために必要な条件とは何か」という点については、今後の研究を通して明らかにしていきたい。
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佐々木昌雄
引用文献
- 小内純子 (2014) :「アイヌの人々とメディア環境」
- 『「調査と社会理論」研究報告書』, 31, 2014. pp.71-82
- http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/54991
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