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Sutta-nipāta, 3.1
眼ある人 (釈尊) はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。
「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、煩いがない」と見て、出家されたのである。
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Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 1.2.9
二〔尊師いわく、──〕
「 |
わたしには庵・巣・つなぎの糸はない。
わたしは束縛から解脱している。」
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三〔神いわく、──〕
四〔尊師いわく、──〕
「 |
母が〈庵〉である。
妻が〈巣〉である。
子らが〈つなぎの糸〉である。
妄執が〈束縛〉である。」
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Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 1.1.10
一 傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。
「 |
森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
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二 〔尊師いわく、──〕
「 |
かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくするとともなく、ただ現在のことだけで暮らしている。
それだから、顔色が明朗なのである。、
ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。
──刈られた緑の葦のように。」
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ブッダは,出家 pravrajya を説く。
出家は,乞食をして生きる。
食を施すのは,<愚かな人々>である。
出家は,<愚かな人々>が絶対的に存在することを前提する。
出家主義は,<愚かな人々>とそうでない者の二分論である。
ブッダにとって<愚かな人々>は,自分が働きかけるものではない。
ブッダが働きかけるのは,自分の同類と見込む者である。
ブッダは,そのような者に自分の理論を説き,出家を勧めるのである。
ブッダの理論は,説く相手を選ぶ。
ブッダの理論は,小乗である。
引用文献
- 中村元 (1991) : 中村元[訳]『ブッダのことば スッタニパータ (Sutta-nipāta)』, 岩波書店 1991
- 中村元 (1986) : 中村元[訳]『ブッダ 神々との対話 (Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga 1〜3)』, 岩波書店 1986
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