Up 出家主義──小乗 作成: 2021-10-17
更新: 2021-10-17


      Sutta-nipāta, 3.1
     眼ある人 (釈尊) はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。
    この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、煩いがない」と見て、出家されたのである。

      Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 1.2.9
    二〔尊師いわく、──〕
      「 わたしには庵・巣・つなぎの糸はない。
    わたしは束縛から解脱している。」
    三〔神いわく、──〕
      「 庵・巣・つなぎの糸とは?
    束縛とは?
    四〔尊師いわく、──〕
      「 母が〈庵〉である。
    妻が〈巣〉である。
    子らが〈つなぎの糸〉である。
    妄執が〈束縛〉である。」

      Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 1.1.10
    一 傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。
      「 森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
    二 〔尊師いわく、──〕
      「 かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくするとともなく、ただ現在のことだけで暮らしている。
    それだから、顔色が明朗なのである。、
    ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、(しお)れているのである。
    ──刈られた緑の葦のように。」


    ブッダは,出家 pravrajya を説く。
    出家は,乞食(こつじき)をして生きる。
    食を施すのは,<愚かな人々>である。
    出家は,<愚かな人々>が絶対的に存在することを前提する。
    出家主義は,<愚かな人々>とそうでない者の二分論である。


    ブッダにとって<愚かな人々>は,自分が働きかけるものではない。
    ブッダが働きかけるのは,自分の同類と見込む者である。
    ブッダは,そのような者に自分の理論を説き,出家を勧めるのである。

    ブッダの理論は,説く相手を選ぶ。
    ブッダの理論は,小乗である。



    引用文献
    • 中村元 (1991) : 中村元[訳]『ブッダのことば スッタニパータ (Sutta-nipāta)』, 岩波書店 1991
    • 中村元 (1986) : 中村元[訳]『ブッダ 神々との対話 (Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga 1〜3)』, 岩波書店 1986