- ヴェーダの宗教──バラモン経 (ブラフマニズム Brahmanism) ──から端を発する
7〜8世紀以降に南インドで広がりはじめる
- タントラ
- ヒンドゥー教シャクティ派の経典
シバ神妃の性力 (śakti) を崇拝
インドに 800年前後(ある種のタントラは7世紀)から伝わる
- 無上瑜伽タントラ
- Wikipedia「無上瑜伽タントラ」からの引用:
|
仏教は、そもそもインド征服集団であるアーリヤ人が持ち込んだヴェーダを奉じる、司祭階級バラモンを中心としたいわゆるバラモン教に対するカウンターの1つとして、クシャトリヤ階級の自由思想家の一人であるゴータマによって興された宗教であり、両者は(類似部分も多いものの)潜在的な対立関係にあった。
仏教教団はマウリヤ朝からクシャーナ朝にかけて、国家の庇護を受け、隆盛を誇る。その文化は続くグプタ朝においても花開くが、一方で、この頃形としてまとまった『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などを契機として、民間伝承を取り込んだ庶民的な宗教として生まれ変わったバラモン教、すなわちヒンドゥー教が台頭してくることになる。こうして出家者中心の理論的・瞑想的な仏教が一般庶民の求心力を失っていくのとは対照的に、ヒンドゥー教が勢力を広げることになり、かつての関係・立場は逆転する。
この状況に危機感を募らせた仏教側のリアクションとして、5世紀頃から登場したのが、ヒンドゥー教的要素を積極的に取り込み、壮大な神々の体系(曼荼羅)と儀礼、呪術、超能力、動的な身体・象徴操作、現世利益などを備えた、いわゆる密教である。
その体系は徐々にまとめられ、7世紀に『大日経』『金剛頂経』が成立するに至り、一応の完成を見る。これが日本にも真言宗として伝わっている中期密教(純密)である。
しかし、インド仏教界はこれに飽き足らず、さらなるヒンドゥー教への対抗、庶民に対する訴求力・求心力の維持・強化、そして仏(世界)との合一手段探求・強化の一手として、「性」と「チャクラ」(つまるところ「クンダリニー・ヨーガ」および「シャクティ信仰」)に、よりいっそう深く踏み込んでいくことになる。こうして生み出されたのが、後に無上瑜伽タントラと総称されることになる後期密教経典群である。
|
|
- 参考Webサイト
- 参考文献
- 中村元[著]『密教経典・他』(現代語訳大乗仏典 6), 東京書籍, 2004.
|