共同体には,地勢やインフラデザインの違いがある。
この違いは,大地震からの「復旧」を違うものにする。
「復旧」は,経済である。
経済が成立すれば「復旧」が進み,成立しなければ「復旧」は無い。
翻って,「復旧」がどんなものになるかは,経済を考えればわかる。
行政は,「復旧」の経済を計算して,早々に「復旧」の落としどころを決めることになる。
実際,それができなければ,行政とは言えない。
ひとは「復旧」が遅々として進まないことを,行政のお粗末と思っている。
そう思うのは,ひとは「復旧」を計算することをしないからである。
1日に処理できる件数が1のものが1万件控えていれば,すべてを処理するのに1万日かかる。
勤務日が1年に300日なら,1万日は 33年である。
そしてこんな処理案件が,いくらでもある。
ひとが長い時間をかけて個々に築いてきたものは,行政の手で一度にどうにかなるものではない。
「復旧」が無理となる共同体に対し,始めから「復旧は無い」とは言えない。
ひとを動かすことは,ひとの感情を上手に誘導することである。
行政は,ひとの感情を誘導するレトリックを,慎重・丁寧に繰り出していくことになる。
地方の共同体は,ほぼこういうところになる。
地方の共同体は,古い。
よって,古い家屋が多い。
ここに大きな地震が起こると,多くの者が住む家を無くしてしまうことになる。
しかしそこには,「復旧」の経済が成立しない。
その共同体は,過疎高齢化が進行しているところだからである。
口には出さずとも,「復旧はあり得ない」がだれの目にも明らかになる。
ひとは「復旧は無い」がはっきり言われるのを待つようになる。
宙ぶらりんは苦痛だからである。
ここに,行政に出番が回る。
「復旧は無い」を行政が宣言するときである。
ただし,慎重・丁寧に修飾表現 (レトリック) を選んで。
2024-06-30 読売新聞から引用:
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