Up 緊急事態宣言 → 財政出動 ((かね)創出) → ? 作成: 2021-09-08
更新: 2021-09-08


    大衆は,ルサンチマンの者である。
    彼らは,心配・恐怖を心構えとすることを正義とする。
    この彼らは,つねに世を憂いていることが正義になる──実際,世を憂うのパフォーマンスに努める。

    マスコミは,彼らの表出である。
    国政野党は,彼らの党になろうとするものである。


    この正義は,自家撞着する。
    「新型コロナ」の場合だと,つぎのようになる:

      新型コロナに対しては,つぎが正義のフローになる:
        新型コロナに恐怖する
        → 緊急事態宣言を求める
        → 生活補償を求める

      生活補償を求めることは,財政出動 (金創出) を求めることである。
      ここで財政出動に対しては,つぎが正義のフローになる:
        財政出動を財政の不健全化として恐怖する
        → 財政の健全化を求める

      彼らの謂う「財政の健全化」は,「支出が収入(税収) を越えない」である。
      ここで税金に対しては,つぎが正義になる:
        税負担を軽くする (税金を上げない) ことを求める

      そこで彼らの「財政の健全化」は,「税金は上げずに支出を抑える」である。
      ところで,支出は今日,生活補償が大部分を占めている。
      よって,「支出を抑える」は「生活補償を抑える」になる。

      こうして,大衆の正義は「生活補償を求めて,生活補償抑制を求める」になる。
      自家撞着しているわけである。


    政治は,この大衆が相手である。
    政治は大衆の期待──「生活補償を求めて,生活補償抑制を求める」──に応じることはできない。
    よって,政府に対する大衆の支持は,発足時は期待から高支持率になり,期待が外れて低支持率になる。
    もし,高支持率がずっと続く政権があるとしたら,そこには怪しいことが行われているわけである。
    実際それは,「劇場型政治」と括られる政治である。

    国の政治は, 「ポピュリズム政治」であるか,そうでなければ「劇場型政治」である。
    観念・達観すべし。


    さて,「財政の健全化」を「支出が収入を越えない」で考える者は,国の財政を家計と同じだと思っている。
    よって,「財政出動 (金創出) 型財政をやっているとその先はどうなるか?」を本当に考えることができない。
    実際,思考停止しているわけである。

    そこで,「財政出動 (金創出) 型財政をやっているとその先はどうなるか?」の<基本>を,ここで論じるとする。

     註: <基本>に対する<リアル>は,<基本>の上に様々なことが相互作用している複雑系である。
    このリアルを探るのは,経済学である。


    「財政出動」の内容は,「金を造る」である。
    これは,「無から造る」であり,よって「創」の字も使いたくなる (「信用創造」)。
    国の財政が家計と違うところは,「金造り」ができるところである。
    個人が金を造ったら罪になるが,国はそうではない。

    「金造り」の結果は,「通貨価値が下がる」である:
      (1) 国内では,物価が上昇する (インフレ)
      (2) 対外国では,円安になる

    ひとは,これを困った事態と思う。
    そう思うのは,思わされてきたからである。
    実際,あなたはこれがどう困る事なのか,説明できるだろうか?


    (1) 国内
    通貨量がこれまでの2倍になったとしよう。
    このとき,国民はそれぞれ,これまでの所持金の2倍の所持金を持つことになる。
    国民のこれまでの購買パターンは,同じ物にこれからは金を2倍払う──言い換えると,物価を2倍にする──ことで,保たれる。
    ここには,「損した/得した」の問題は生じない。

    (2) 対外国
    外貨との交換はどうなるだろうか?

    隣接する2つの国A, Bを考えよう。
    A国の通貨の単位 (通貨名) を「U」,B国の通貨の単位 (通貨名) を「V」とする。
    「U」と「V」は,1Uが1Vと交換される。
    いま,「U」の量がこれまでの2倍にされた。
    「U」と「V」の交換レートはどうなるか?

    ここに,A国民xがいて,車を国内生産して国内とB国の両方で売っている。
    これまで,車1台の生産に1Uのコストをかけて,2Uで売ってきた。
    この場合,Bで売るときの価格は2Vになる。 ──B国民は,その車を自国でもA国でも買うことができるので,B国での価格は自ずと「U」と「V」の交換レートに従うことになる。

    さて,「U」の量がこれまでの2倍になったことで,A国の物価は2倍になった。
    xは,車1台の生産に2Uのコストをかけて,4Uで売ることになる。
    一方,Bで売るときの価格は2Vのままである。 ──車に変わりはないから,B国民はこれまで通り2Vを払う。
    よって,xにおいて4Uと2Vが等価値になる。
    すなわち,「U」と「V」の交換レートが「2U=1V」になる。

    xをB国民にしても,同様のストーリーがつくられる。
    xは変数であるから,公式の交換レートは「2U=1V」に落ち着く。
    そしてここには,「損した/得した」の問題は生じない。


    このように「金造り」は──<基本>レベルでは──「損した/得した」の問題を生じない。
    「新型コロナ」では,財政出動として,国の税収の2倍, 3倍, あるいはそれ以上の額の金が造られ,ばらまかれる。
    「国の借金」(この表現は間違い) は(じき)に 1500兆円になろうとするが,これはいまの税収 50兆円の 30年分である。
    それでも,国は破産していない。
    それは,「金造り」が<空回りする歯車>だからである。

    では,「財政出動によって生活困難者を救済」って何なのか?
    これは,損得の凸凹をつくっているのである。
    生活困難者に物が流れると,その分流れないところが現れる。
    全体では,差し引きゼロである。

    翻って,「国民全員に一律給付」は「救済」にはならないわけである。
    実際,これの意味は「景気浮揚」である。
    「新型コロナ」では景気が落ち込むので,景気対策として「国民全員に一律給付」は<あり>なのである。
    極端な話,「1人1千万円」でも構わない。
    「国の借金」が1千兆円増えるだけのことである。
    もっともそのときは,「景気浮揚」どころか経済崩壊──物に値段がつかない大混乱──となるわけだが。

     『日本の財政』