「専門家」は,マスコミと学者の関係性の表出である。
この表出構造は,古今東西同じである。
|
Dawkins (1986), pp.400,401
世の中には、ダーウィン主義など信じなくともよいと、なんとしても思いたい人々がいる。
彼らは大別すると三つの種類に分けられるようだ。
一つは宗教的な理由から,進化そのものを真実ではないと思いたい人たち。
二つめは、進化が起きたことを否定する理由はもたないものの、しばしば政治的あるいはイデオロギー上の理由から、ダーウィン説をそのメカニズムゆえに気にくわないと感じる人たち。‥‥
三つめは、「マスメディア」と (しばしば単数名詞のように) 自ら呼ぶもののなかで仕事をしている大勢の人々など。
彼らは、おそらく新聞雑誌のいいネタになるというだけで、リンゴの荷車がびっくりかえるのを見るのが大好きな連中なのだ。‥‥
動機が何であれ、評判の高い学者が現在のダーウィン説の重箱の隅をつつくような批判をほのめかしでもしたら、その事実は熱心にとびつかれ、まったく釣り合いを失ってふくらまされる結果になる。
その熱心さたるやたいへんなもので、あたかも、ダーウィン主義に対する異論ならどんなに小さな音でも選択的に拾いあげる、微調整ずみのマイクをそなえつけた強力な増幅器のようだ。
まじめな議論と批判はどんな科学でもかけがえのない重要な側面なので、これははなはだ不幸なことだし、学者たちがこのマイクのせいで自らの口を閉ざす必要を感じているとなると、もう悲劇である。
言うまでもないが、このアンプは強力ではあるにしても、ハイファイではない。
途方もなく音が歪んでいる!
科学者が、現在のダーウィン主義の微妙な意味あいについてほんのわずかな疑念を注意深くささやけば、ねじまげられてほとんど自分のものとはわからなくなった言葉が、熱心に待ち構えている拡声器からとどろき、こだまするのを聞くことになるのは避けがたいだろう。
エルドリッジとグールドはささやかずに、雄弁にそして力強く述べた! 彼らが主張することはしばしばかなり微妙だが、伝わるメッセージはダーウィン主義はどこか間違っているという点である。
ハレルヤ、「科学者」[「専門家」] が自分でそう一言ったぞ!
|
|
Cf. アイヌ学者の終焉
引用文献
Dawkins, Richard (1986) :
The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design. Norton. 1986.
日高敏隆[監修], 中嶋康裕・他[訳]『盲目の時計職人──自然淘汰は偶然か?』, 早川書房, 2004.
|