Up 「復興」イデオロギー : 要旨 作成: 2019-03-20
更新: 2019-03-20


    大災害の後では,「復興」を唱えることが正義になる。
    「復興」を正義にするこの思考タイプは,イデオロギーである:
      「みなが復興を願っている。
       復興を願わないなど,人としてあり得ない。」
    ひとは人非人(にんぴにん)にはなりたくないので,このイデオロギーに逆らわない。

    このイデオロギーは,多くの者がこれに疎外されることになる。
    しかし,その疎外を口に出せない。
    こうして,「復興」のことばがひとり歩きする。
    (「裸の王様」ダイナミクス!)


    自然は,運動する系である。
    この運動は,この系に棲む者に影響する。
    そしてその影響は,ある者には「大災害」の様相になる。

    自然の運動は,系の自己組織化である。
    この「自己組織化」は,「系の安定均衡相をその都度実現する」である。
    系の都合は,特定員の都合とは違う。

    「復興」は,特定員が自分の都合から唱えるものである。
    この者は,実際のところ,少数派になる。
    即ち,《生活できなくなった場に対しては,そこから出て行く》が,多数派になる。
    ただし,この構成は隠蔽される。
    隠蔽しているものは,イデオロギーである。


    「復興」を己の都合としない者の方が多数派になるとは,どういうことか。
    放浪生活者は「復興」とは無縁の者であるが,賃金労働者もこれと同じになる。
    賃金労働者は,これまでの勤め先が復興するのを待つ者にはならない。
    新しい勤め先をさがすことになる。
    こうして,彼ら (とその家族) が去る。

    彼ら以外が,「復興」を唱えることになる者である。
    それは,公務員,自営業者,退役者,ということになる。


    「復興」が進まないことを不満に言う者がいるが,「復興」が進まないのは当然である。
    「復興」は,手当や土木工事で成るのではない。

    「復興」は,<成るべし>というものではなく,<成ることもある>といったものである。
    「復興」イデオロギーは,「復興」を<成るべし>にする。
    この結果は,人の系が奇形化し,人が奇形化するというものである。
    無理は,己を奇形化する。