Up | 「復興」──原発事故の場合 : 要旨 | 作成: 2019-03-22 更新: 2019-03-22 |
事故が地域にまき散らした放射性物質の放射能は,「半減期」という厳密な物理法則によって減衰する。 放射性物質は,人の努力で無くせるものではない。 人ができること,それは放射性物質の移動のみである。 放射線物質の「除染」は,放射線物質の除去ではない。 放射性物質の移動である。 そして,その移動は,原発被災地の中の移動である。 他の地域は,放射性物質が自分のところに移動されるのは拒否する。 これをエゴとして公平主義を立てるのは,この場合不合理である。 実際,放射性物質を他の地域に移動することは,放射性物質の拡散であり,これの管理をさらに面倒にしてしまう。 かくして,被災地にはまったく救いがないように見える。 然り,原発事故の場合,被災地に救いは無い。 原発事故の場合,被災地には本来「捨てる」という選択肢しかない。 行政や,利権や,エゴは,この事実を隠そうとする。 事実隠蔽は,系のダイナミクスである。 是非も無いことである。 われわれにとって大事なことは,「事実隠蔽である」と「是非も無し」を併せて理解しておくことである。
自治体公務員にとって,地域が無くなることは,自分の職を失うことである。 これは,公務員エゴである。 そして,「是非も無し」である。 原発事故に「復興」は無いが,現実は「復興」が唱えられている。 その「復興」の内容にされているのが,「帰還」である。 ここに,チェルノブイリの場合が対比されてくる。 チェルノブイリは,「去る」である。 フクシマは,「歸る」である。 この違いはどこから出てくるのか。 処理方法として立てたものの違いである。 チェルノブイリは,「石棺」である。 フクシマは,「廃炉」である。 「廃炉」は,この先数十年,現地に一定数 (多数) の作業員が常駐して作業するところとなる。 事故前に原発で働いていた者のうちには,廃炉作業員になる者がいる。 「帰還者」とは,彼ら (とその家族) のことである。 そしてこれら帰還者は,旧自営業者の帰還を呼び込むことがある。 廃炉作業は,被災地に放射性物質を堆積させる。 堆積は,進むばかりとなる。 飽和させないためには,「薄めて外に拡散させる」しかない。 汚染水処理は,ずっとこれが課題になっている。 「薄めて外に拡散させる」の実績的な方法は「海に流す」であるが,これは海を生業とする者が許さない。 状況は,八方塞がりのように見える。 しかし,「八方塞がり」もまた,これが所与であれば,生きる場である。 ひと──この場合は,商品経済──は,「八方塞がり」の状況においては,「八方塞がり」を経済の場にしていくのである。 |