Up | 「防災」イデオロギー : 要旨 | 作成: 2019-03-24 更新: 2019-03-24 |
「防災」は,イデオロギーになる。 「防災」イデオロギーは,「防災」の位置づけ──意味・理由・機能──を思考停止する。 防災は生活に従うものであるが,このイデオロギーは生活を防災に従わせる。 この本末転倒に邁進する。 生活は,死を<しかたのないもの>にしている。 生活は,死をギャンブルする。 生死を運に委ねる。 人の系の「存続できている」には,「大災害を一部の死で済ます」が含まれている。 「全員を死なさない」をストラティジーにしたら,系は成立しない──壊れる。 「リスク分散」,これが系存続の要諦である。 大型避難所を設けることは,そこがやられたら大量死になるということである。 そして,避難者の過密大集中そのものが,大災害に転じる。 「防災」イデオロギーの欺瞞は,「人命は重い」を用いることである。 人命は,ひとの都合がこれを重くしたり軽くしたりする。 「生き物愛護」を唱える者は,同時に「害獣・害虫・バイ菌駆除」に一生懸命になる者である。 ひとはもともと「リスク分散」の考えを受け入れている。 「運・不運」の考えが,これである。 これは,智慧である。 そしてこれを否定するのが,「防災」イデオロギーである。 「防災」イデオロギーの出自は,ひとの (1) 単純思考と (2) 保身である。 (1) 単純思考 悪いものをすべて無くせばよいものだけになると思う。 こうして,単純思考の者は潔癖性の者になる 彼らは「大災害」という主題に対しては,「徹底防災」の考えに進む。 (2) 保身 失敗は結果論である。 しかしこの結果論を以て,失敗が訴追される。 3.11 では,園児を乗せたバスの被災を人災だとして,訴訟に及ぶ者も現れた。 そこで,責任追及・失敗訴追が自分に及ぶ可能性のある者は,アリバイづくりに一生懸命になる。 危険予告を負う立場の者は,「自分は警告していた──警告に従わなかった者が悪い」という格好をつくろうとする。 学者だと,災害シミュレーションをやることになる。 そしてこれは業績になり研究費の獲得になるので,ますます一生懸命になる。 災害シミュレーションの現前の活況は,これである。 しかし,大災害は,学者の想定するようにはならない。 自然ははるかに複雑であり,ひとは自然の「気まぐれ」を見るばかりとなる。 そして,この想定外が,被害を大きくしてしまうということもある。 3.11 では,津波の高さを低く見積もって予報したことが,死者数を大きくする結果になった。 |