Up 「支援・応援」エスカレーション : 要旨 作成: 2016-04-20
更新: 2016-04-20


    ひとは,大災害の絵を見ると高揚する。
    そして,この高揚感で,「支援・応援」を行動する。

    高揚の内容に,<考える>の放棄がある。
    実際,<考える>の放棄は,高揚の条件である。

    「支援・応援」は,<考える>の不在である。
    それは,パニックにパニックで同調する態である。

    こうして,「支援・応援」は,<善意>の勝手気儘行動になる。


    <善意>の勝手気儘行動は,被災現場の作業の邪魔・迷惑になる。
    被災現場の作業には,段取りがある。
    <善意>の勝手気儘行動は,この段取りの支障になる。

    しかし,<善意>の者に,「邪魔・迷惑」は言えない。
    幼児の手伝いに,「邪魔・迷惑」を言わないのと同じである。


    被災現場の作業は,「人命救助」から始まる。
    段取りの最初にくるのは,「人命救助」である。
    「人命救助」を優先にして,その他は後回しにする。
    避難所に集まった者の処遇は,先ずは後回しである。
    ただし,「水」だけは,「人命救助」優先と同列の優先事項になる。
    食べ物は数日無くても死なないが,水はそうはいかない。

    被災者は,我慢を強いられる。
    また,自らに我慢を強いる者である。
    我慢は,「みな同じ」の気持で保っている。
    そこで,物の配給は,全員公平分配でないと,集団が忽ち乱れる。
    全員公平分配する量が満たされていない物資は,量が揃うまで待つことになる。
    このときの考え方は,「物の不自由で死ぬことはない」である。
    強調するが,統一が壊れることが,このときの最悪事態である。

    配給物資調達の問題は,第一に,ロジスティックの問題である。
    配給システム実現の段取りには,時間がかかる。
    運送事情の改善には,本来,道路での一般車両の交通規制も含まれてくる。

    <善意>の勝手気儘行動は,以上の段取りのすべてにおいて,支障になる。
    <善意>の勝手気儘行動の出る幕はあるが,それはまだ後のことである。


    <善意>の勝手気儘行動では,メディアも同類になる。
    メディアは,災害発生の報道と直結で「義援金」を呼びかける。
    当人は役割行動のつもりであるが,自ら「支援・応援」エスカレーションに陥っている体(てい)である。
    実際,《「義援金」がどのような処理作業を要求することになるものか》の考えは,あたまに無い。
    しかも,これは「支援・応援」エスカレーションの引き金になるので,たちがわるい。

    「義援金・義援物資」の機能は,支援・応援をしないことには気が済まない者の気を済まさせることである。
    あるいは,自分の<いつも通り>を行うことを易しくすることである。
    <他人事>の合理化
    大災害に対しては,金・物の投入は,<一括・大量>でやらねばならない。
    金の場合は,《補正予算を組み,税に上乗せすること (「復興税」) を考える》である。
    「義援金・義援物資」は,これの処理のために人手が割かれる方が,ダメージなのである。

    お気持ちだけいただく」の意味を噛みしめることが肝要,というわけである。