Up | 役割行動 : 要旨 | 作成: 2016-04-19 更新: 2016-04-19 |
ひとは,「成長」として,役割行動を学習し,これを無意識に行うカラダを形成している。 無意識になった役割行動は,倫理・道徳意識と合わさっている。 これに反する行動は,罪悪感がもたれる。 カラダはそういうしくみになっている。 ここでは,この「無意識になっている役割行動」を,主題にする。 ただし,ことばの簡潔のために,「無意識になっている役割行動」を単に「役割行動」と言うことにする。 災害は,ひとそれぞれに,自分の役割行動に入らせる。 災害を報道する者は,災害を報道する者の役割行動に入る。 被災者は,被災者の役割行動に入る。 災害が他人事になる立場の者は,災害が他人事になる立場の者の役割行動に入る。 これら役割行動の「役割」は,「災害の絵づくりに努める」である。 災害の絵というものが,漠然とある。 災害を報道する者は,この絵を損なってはならない。 被災者は,この絵を損なってはならない。 災害が他人事になる立場の者は,この絵を損なってはならない。 ──これを,役割行動として現す。 つぎが,絵をつくる行動である: 翻って,絵を損なう行動とは,つぎのような行動である: 災害の絵は,しだいに色褪せていく。 災害が他人事になる立場の者は,災害の絵に飽/厭きるようになる。 同じものに飽/厭きるのは,生理であって,正常なことである。 「他人事にしない」とは,この正常を抑圧・排除・隠蔽することである。 この勝負は,正常の勝ちで終わる。 被災地では,時間の経過とともに,統制が解除されていく。 実際,「避難所」は,もともと「避難」のことばは合っていない。 機能をいえば,「統一行動をさせるための施設」ということになる。 その内容は,「点呼」「指示」「周知」「配給」であり,一括処理・トップダウンを能く実現することである。 統制の解除で,去る者と残る者の別が現れる。 災害の絵は,残る者が担うことになる。 しかしこの段階になると,災害の絵は保てない。 なぜなら,専ら「災害」が<残る>の要因ではないからである。 即ち,災害に限らない一般的な個人的都合──「立場・資質・能力・体力・年齢」──が<残る>の要因に入ってくるわけである。 この進捗の中で,災害を報道する者の<現前を惨状の絵に編集する>も,困難になる。 壊れたものそれ自体の絵は,惨状の絵ではない。 惨状は,以前との比較を以て,そして感情移入を以て,惨状である。 しかし,惨状は現前となり,感情移入は薄れる。 そして,マンネリは嫌味になる。 さしている傘が風に裏返される絵が台風報道の定番だが,こんなふうになってしまうわけである。 災害の絵がしだいに色褪せていく現象は,「災害の風化」と呼んでいるところのものである。 「災害の風化」は,是非を言うことではない。 これは,系のダイナミクスである。 「災害の風化」の主題化は,「災害における人の生態のライフサイクル」の主題化である。 ライフサイクルは,完結することが要諦である。 実際,ライフサイクルが完結しないとは,系があやしくなっている・危なくなっているということである。 |