Up 「人災」訴訟 : 要旨 作成: 2016-03-27
更新: 2016-03-27


    「訴訟社会」は,被災地にも貫徹されていく。

    大津波災害で近親者をなくした者は,「たら・れば」を思う。
    「たら・れば」の中には,公的機関や法人が何らかの形で必然的に現れる。

    このとき,ある者は,公的機関や法人の行ったことを「人災」に見なせないかと考える。
    そして訴訟社会は,この種の「人災」の訴えが通る社会である。


    この絵図は,異様である。
    どんなふうに異様か。
    同じような「たら・れば」をもつ大多数の者は,これを訴えない者である。
    この訴えない大多数の者については,どう考えたらよいのだ」という話になるわけである。

    訴えない者は,「しようがない」と思う者である。
    公的機関や法人の行ったことを,「ふつうの行動」「ありふれた行動」「よかれの思いでやっている行動」と受けとめる者である。
    これに対し訴える者は,「人としてやってはならない行動 (過失・犯罪)」と思うことにした者である。
    実際,「人としてやってはならない行動 (過失・犯罪)」にしなければ,訴訟にならない。


    大津波被災地の中の「人災」訴訟は,裁判制度および「訴訟社会」の矛盾の表現である。
    この場合の「訴えが通る」には,「本来,だれもが訴えて勝つことができる」が含蓄される。
    個人が起こした訴訟の内容は,そのまま集団訴訟の内容になってしまうものである。
    実際,「復興」の連帯気分がおさまってくるとき,集団訴訟がつぎのステージであってもおかしくない。