Up | 官製「復興」 | 作成: 2016-03-26 更新: 2016-03-26 |
官製「復興」は,統制主義である。 統制から逸脱する行為は,認められない。 官製「復興」は,箱物事業である。 箱物の格好がつくまで,ひとは待機状態にさせられる。 戦後の焼け野原からの復興は,自由主義である。 いまの「復興」は,社会主義である。 実際,官製「復興」のバックグラウンドは,安全社会主義である。 近時,行政による安全囲い込みが,急速に全体化した。 これは,クレーマーとマスコミの成果である。 クレーマーやマスコミから安全管理で叩かれそうなところは,片っ端に柵をつけて,ひとが入れないようにしてしまう。 個人は,自己責任を選ぶ自由──危険と隣り合わせでいる自由,災いに遭う自由──を,奪われた。 火山爆発予兆が「専門家」によって告げられると,ひとは生活停止に甘んじねばならない。 生活は,<危険と隣り合わせで生きる>である。 <危険と隣り合わせで生きる>をやめさせられたら,生活にならない。 大津波災害地帯を生活圏にする者の「大津波応接法」は,《大津波の予兆に際しては,一目散に逃げる》である──《大津波が届かない場所に移り住む》ではない。 町も所帯も,大津波が周期的に起こることを見込んで──大津波にもっていかれても「覚悟ができていたことだ」を言えるように──デザインすることになる。 実際,プレート潜り込みの国土に生きるとは,こういうことである。 多数の死者を出したのは,《大津波の予兆に際しては,一目散に逃げる》が忘れられていたからである。 20mを超える大津波があることを,世代忘却した。 そして,「専門家」が教える津波の高さを,鵜呑みにした。 この度の大津波災害で教訓にすることは,この一点である。 いまの時代は,<生きる>ことは,智慧を以て,行政・「専門家」・マスコミと適度な距離をおくことである。 行政・「専門家」・マスコミを鵜呑みにすることは,<死ぬ>ことである。
死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 良寛 |