Up | 新型コロナの「陽性率」の意味 | 作成: 2020-11-21 更新: 2020-11-21 |
また「検査の陽性率」の推移を,つぎのように伝えている: |
「検査の陽性率」は,「人口に対する感染者の割合」ではない。 知るべし。 ウィルスの感染は,0か1ではない。 ウィルスに接触すれば,大なり小なり感染である。 東京のような密集地であれば,ほとんどすべての者が新型コロナ感染を経過していることになる。 感染していることは,陽性を現すことではない。 ここが肝心なところである。 感染の程度がいま低ければ陽性を現さず,高ければ現す,ということである。 翻って,個人の感染の程度の表現として,「個人が陽性を現す確率」を用いることができる。 確率の「大数の法則」を以て,「人口に対する陽性者の割合」が「個人が陽性を現す確率」になる。 東京都の「検査の陽性率 5.9 %」は,感染が濃いと見られるところを狙って検査したものである。 「人口に対する陽性者の割合」だと,1%くらいを見込むのが妥当なところか。 このとき,「陽性者がコンスタントに10万人くらいいる──10万人をコンスタントに保つふうに陽性者が入れ替わっている」という計算になる。 マスコミは感染者と陽性者を同じにするわけだが,この方式でいくと「東京都の感染者数は10万人」ということになる。 マスコミや知事たちは数百の数字で「医療崩壊の危機──いまが正念場!」と騒ぎ立てているが,それは感染者数に病床数を対応させるやり方をとっているからである。 このやり方だと,検査数をただ増やすだけで医療崩壊である。 ひとは,この理がわからないのだろうか。 そんなことはないのだが,世の中は理のわからぬ者が圧倒するようになっている。 理は面倒臭いからだ。 面倒臭いことには,<思考停止して周りに倣う>で応ずる。 ひとの自然は,同調 (社会主義) である。
学校教育は,もともとひとを社会主義に導く装置である。 この意味では,学校教育は,理に即くのではなく,ひとの自然に即く。 実際,新型コロナでも,<ひとの自然に即く>を率先してやってきているわけである。 |