Up | 金造り money creation | 作成: 2020-03-26 更新: 2020-03-26 |
一方,生業う者は「自粛」をやってはいられない者である。 マスコミは「命・健康第一」を立場にするものなので,このように偏向する。 このことに是非はない。 必要なことは,《世論とはこのようにつくられるものだ》ということを,みなが了解していることである。 ──しかし,もちろん,そんなふうにはならない。 ひとは「自粛」を聞いて,「これでどうして経済が成り立つのか?」の思いをもたない。 災害の度に言われる「救済措置」「特別措置」のことばに慣らされて,「経済はなんとかなるもの」と漠然と思うようになっているのである。 「経済はなんとかなるもの」は,確かにそうである。 しかしひとは,「経済はなんとかなるもの」のしくみを考えない。 ただ,思考停止しているのである。 「自粛」による経済停滞は,財政出動で乗り切ることになる。 財政支出の額は,国力に依存する。 アメリカだったら100兆円単位,日本だったら10兆円単位くらいになる。 ひとは,「兆」のことばにすっかり慣らされてしまって,「一丁上がり」の「丁」程度に思うようになっているが,実際は「兆」はものすごく大きな数である。 いま,百万円ずつ1千万人に給付するとしよう。 この総額は,
「緊急経済対策で財政支出10 兆円」のことばを聞いて驚く者は今時どこにもいないが,「兆」とはこのくらいのものなのである。 さて,財政出動の金はどこから出てくるのか。 篤志家がいるわけではない。 金を造るのである。 個人がこれをやれば贋金づくりで罰せられるが,国はもともと金を造るところである。 金が必要なときは,金をつくるのである。 これを初めて聞く者は「こんなことをしてだいじょうぶなのか?」の思いになるが,だいじょうぶなのである。 「だいじょうぶ」という意味は,「実際,これまでこれをやってきている」である。 「だいじょうぶ」の秘密は,金には実体が無いこと,そして経済が商品経済だということである。 金を金にしているものは,「信用」という幻想である。 この幻想が崩れずに済んでいれば,商品経済は「だいじょうぶ」なのである。 経済は,「神の見えざる手」による。 ひとには,「緊急経済対策で大型財政出動」をやっても「なんとかなる」のはどうしてか,わからない。 神のみぞ知る,なのである。
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