読売新聞, 2022-09-10
日本の財政は,つぎのやり方を十八番にするようになった:
特に「アベノミクス」になって,これに拍車がかかった。
「アベノミクス」の本質は,「日銀の国債買い取りに制限をつけない」である。
こうして,政府は,金が要るときは国債を発行すればよくなった。
「国債を発行する」のココロは, 「国債を発行するだけでよい」である。
これには,何の元手も要らない。
一般に,何の元手も要らずにできることは,野放図になる。
日本の財政はこれであり,野放図になる一方である。
経済は,だいたいが「うまくいかない」というものである。
経済がうまくいかないとき,大衆は生活に困窮する。
政府は,大衆の生活困窮に,財政で応じなければならない。
このとき日本の政府がすることは,金を造ってこれを大衆にばらまくである。
一人1万円を1億人に給付すると,1兆円である。
今日の財政感覚だと,「1兆円」の額はものの数ではない。
こうして,大衆の生活困窮には給付金で応じるようになる。
生活困窮のパターンは色々であるから,色々な名称の給付金がこの先現れるようになる。
ここで留意すべきは,経済の観点では,給付金の意味は「救済」ではなく「消費力を支える」である。
大衆が貧しくなると,経済が回らなくなる。
経済を回すためには,大衆を貧しくしてはならないのである。
「給付金」は,景気対策として行われる。
ここを勘違いしてはならない。
こうみると,「給付金」は好いことずくめのように見える。
元手はかかっておらず,みんなが喜ぶ。
しかし,やはりそんなうまい話はない。
「円安」というしっぺ返しが来る。
日本の財政は,「消費を落ち込ませない」の一手である。
金を造ってばらまき,そして金が確実に消費に回るように金利をゼロ,さらにはマイナスにもする。
しかし国の財政は,一国のことではない。
こんなことをしていると,円は金利のつく外貨に換えられる。
これが現在進行している「円安」である。
「円安」は,つぎのループを形成する:
円安 → 物価上昇 → 消費力下落
→ 金を造って給付し消費力を支える
+ 消費に向かわせるためのゼロ金利を堅持
→ 円安
救いの無い話に聞こえるだろうか。
しかし,この無限ループは,実は経済の本質なのである。
経済は,<つけを先に投げる>というものなのである。
──<アベノミクス>は,経済のこの本質に従順なだけのものである。
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