Up | 本論考の目的 :「就職対策指導」の意味考察 | 作成: 2008-05-10 更新: 2008-05-10 |
失敗の理由は,無思慮による。 無思慮になるのは,無思慮が意識されないからである。 無思慮が意識されないのは,人間がそもそもそのようなものだからである。 ひとにとって課題になるものは,どれも複雑系である。 ひとは,複雑系を複雑系として思慮する経験に欠けており,その方法をもっておらず,そして能力を欠いている。 そこで,単純な割り切り方をして済ませる (思考停止)。 そして,思惑でギャンブルをする (ギャンブルの意識がなくギャンブルをする)。 古今東西の失敗から学べるはずであるが,このような学習に入ることをめんどうくさがる。 また,このような学習法があることをそもそも知らない。 そして,知識はあっても自分のことに重ねられない。 そして,無思慮・思惑・ギャンブルを意識せずに,無思慮・思惑・ギャンブルをおかす。
問題は,それがどんな学習か?である。 彼らの学習は,つぎのことに向けられる:
「横並び」──同類は何を考えているか? 「権威」 ──マスコミ/有識者は何を言っているか? アメリカではどうなっているか? 失敗してはじめて,古今東西の失敗と同じ失敗をやっていたことがわかる。 「自分は特別・自分が最初」みたいにして,ギャンブルをやっていたことがわかる。 「自分は特別・自分が最初」なわけがないことを思い知る。 国立大学の「法人化」は,概してこのようなものである。 そしてそれは,国立大学の破壊になっている。 この破壊の最も深刻なものは,「人」に関することでは,大学のインテリジェンスの低劣化である。 感覚麻痺の体(てい)で,愚劣なものの考え方が一般的になる。 このような「法人化=改革」の要目の一つにされているのが,「就職対策指導」である。 これはつぎのように意味づけられる:
国立大学は,<教育>を商品とするサービス業である。 サービスの良し悪しが,集客力に直結する。 サービスの重要な項目の一つに,「よい就職先が得られるようにする」がある。 「よい就職先が得られるようにする」とは,よい就職対策指導をするということである。 教員が就職対策指導担当を課せられるとき,「勝手がわからないままにそれをやる」になる。 勝手がわからないままに事を行えば,本末転倒や破壊をやってしまう。 そして大学教育そのものをおかしくしていく。 「就職対策指導」は,軽々しく扱ってはならない。 これを課題化するときは,ことの本質から深く考えねばなければならない。
就職対策指導は,その場の思いつきででき上がるようなものではない。 そこで,「就職対策指導とは何か?なぜ就職対策指導か?」という根本的なところの論考を,ここで改めて行うことにする。 |