Up 就職対策行動を勉学に優先させる転倒 作成: 2008-05-10
更新: 2008-05-10


    学生の就職対策行動を彼らの勉学に優先させる転倒は,学生と大学スタッフの両方に共通している。 すなわち,両者ともつぎの考えにつく:

      「就職対策活動を時間的・労力的に妨げるような勉強は,
       課してはならない」

    これは,教員自身,一回一回の授業をそれ自体あまり大事なものとは考えていないことの延長でもある。
    ただし,「一回一回の授業をそれ自体あまり大事なものとは考えない」は,実際上間違ってはいない。 ここには,トリックがある。
    大事は,小事の蓄積である。 一個が小事だからといってそれをいくつも捨てるようなことをしたら,大事を得られないことになる。

    この意味で,就職対策活動専念は,学生の大事を壊すものになる。
    「学生の大事」とは,勉学のことである。


    大学に入ってきたときの学生は,勉学の意味を知らない。
    その大事さを知らない。
    大学は,大学教育によって,勉学の意味・大事さを知らせる。

    ところが,経済主義が風潮になっている社会では,大学はキャリアを高めるワン・ステップと見られるようになる。
    学生は,資格取得を学生でいることの目的とし,要件充足の感覚で単位を集める。
    授業に出るのは,出席数をかせぐためである。
    「単位を集める」ことに関して無駄なことはしない。 すなわち,勉強するとか本を読むとかは,しない。 ──彼らにとって,勉強は損なのだ:

    • ネットにあるテキストをコピーしてレポートをでっち上げるのは,得なことである。
    • 卒論代行業に卒論をやってもらうことは,得なことである。
    • 試験でカンニングするのは得であり,しないのは損である。


    そして,3年生になると,就職活動を教えられる。
    「これからの在学期間,最優先に考えねばならないのは就職活動だ」と教えられて,就職活動に専念するモードに入る。自他共に勉学放棄を許す。


    教員も,学生の大学観・勉強放棄に慣れる。
    そして,彼らに合わせることを正しいことと思うようになる。

    特に「法人化」の国立大学では,教育を「顧客サービス」としてとらえ・実践することを進歩的とする風潮ができあがり,就職対策行動を勉学に優先させる転倒がさらに進む。