- 生涯学習教育は,これまでは,自己充足支援型で発想されるのがふつうです。特に,大学が行う「公開講座」は,だいたいがこれです。
- しかしこの「大学公開講座」,これに取り組もうとしているその大学の経営ビジョンがどうもよく見えてきません。
実際,大学公開講座は,「将来ビジョン」「企業戦略」「コスト(含:仕事量)・パフォーマンス」等を踏まえて運営されているでしょうか?
- これからの時代,大学は企業としての自立を厳しく求められるようになります。大学は,自分の企業力と「商品」をきちんと見据え,合理的に経営する必要があります。
大学の運営する自己充足支援型生涯学習教育についても,このような視点から課題を洗う必要があります。
- たとえば,つぎのような形の問いが立つべきです:
「大学公開講座」はいまの形のままでこれからも通用し,そして大学にとって利益の見込める「商品」なのか?
特に,
- コスト(含:仕事量)・パフォーマンスの点で,割りに合うのか?
- 大学スタッフの使い方として,割りに合うのか?
- 「開かれた大学」の戦略として,割りに合うのか──もっと効果と経済効率を考えた戦略が必要なのでは?
- 「大学まで足を運ばせる」──このやり方でいいのか?
- 大学で授業を受けること自体にものめずらしさ,興味を感じる人たちが,確かに存在します。しかし,その感情・興味は,大学での授業を数回経験すれば,消えます。
- 大学で行われる授業がWWWベースの授業に代えられる類のものであれば,「大学に足を運ぶのはめんどうくさい」になってしまいます。したがって,大学に人を呼び込める授業は,イベント性のある授業か,実習タイプの授業に限られてきます。
- イベント性のある授業,実習タイプの授業を提供するということでは,大学のスタッフの問題(すなわち,授業能力の問題)もでてきます。
- 大学がWWWベースの授業を運営するのにも,さまざまな問題があります。
- 生涯学習教育の棲み分けの問題として,いま行っている類の授業は大学で行うのが適当な授業なのか?
- そもそも,自己充足支援型生涯学習教育に対する需要は,これからの時代どの程度に見積もることができるか?
- 「時間が余る → 大学に足を運ぶ」というような考え方は,単純過ぎます。ここでは,社会・経済の構造の変化,情報通信技術の進歩といったことを,計算に入れなければなりません。
- 「余裕・余暇」が,大学側の希望的観測も入ったりして,過大に見積もられるきらいがあります。
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