- 国立大学が「生涯学習教育」を担うことになるとしたら,それは,「国立大学であることが,生涯学習教育に対する社会的ニーズに応える要件になる」という一点においてです。そして,国立大学であることが要件になるのは,「生涯学習教育」を「(地域の格差をつくらない) ユニバーサル・サービス」として実現することが条件になるときです。
- 実際,ユニバーサル・サービスとして「生涯学習教育」を実現することは,従来型国立大学では実現できません。一方,従来型国立大学が担うような「生涯学習教育」は,私学や地方自治体の立てる公立校が扱うべきものです。──地方のいまの国立大学は,「地域にユニバーサル・サービスを提供する大学」という意味での「地域の大学」とは言えません。これを利用できるのは,ごく近辺か交通の便のよい地域の住民に限ります。(ちなみに,今日の交通ネットワークでは,「近接」は交通の便利の問題であって,地理的距離の問題ではありません。)
- これからは,「民間でできることは民間に (民間がすべきことは民間に)」「地方でできることは地方に (地方がすべきことは地方に)」の時代です。特に,国立大学は,「国立大学」だからできること/すべきことを専ら担当する機関でなければ,存在してはなりません。
- 特に,従来型の国立大学は,今後,「高レベルの研究を特色とし研究自体で国際的競争力をもつ」という基準において「国立」に足るとされるようになります。つまり,「国立」が認められるのは,つぎが理由になった場合に限られます:「高レベルの研究を特色とし研究自体で国際的競争力をもてるようにするには,国の支援が必要」。
- したがって,従来型国立大学は,授業内容のレベルを落とすような社会人学生向けサービスを考えるものではありません。従来型国立大学では,社会人は聴講生/研究生になって,あるいは入学して,みなと同じ授業を受ける中で自らの「リカーレント/リフレッシュ」を果たすことになります。
- 一方,「生涯学習教育」がユニバーサル・サービスとして実現されることは,今後わが国にとってひじょうに重要であり,これを担う機関が必要です。そしてこれは,国立大学として立つにふさわしい。(民間その他から十分なものが出てくるなら国立でこれを立ててる必要はありませんが,その可能性は低い。)
- このときの「国立大学」は,つぎのような形で可能になります:
オンラインの「国立生涯学習教育大学」(インターネット・バーチャル大学)
実際,ユニバーサル・サービスの実現は,この形でしか可能ではありません。そして,この形でなら,ユニバーサル・サービスの実現が可能です。
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