Up 「思惑先行」の構造 作成: 2007-11-18
更新: 2007-11-18


    「生涯学習教育」は,思惑で進められる。
    "If we build it, they will come" 調で,やられるわけだ。

    なぜこんな調子になるのか?
    答えは:
      結局は,「生涯学習教育」を思考できない。
      思考を続けられない。
      思考を続けられないので,思考停止する。
      そして,
      思考できないこと,思考を続けられないこと,思考停止していることに,気づかない。


    「思考を怠けている」と見るのは,必ずしも適切でない。
    すなわち,この場合の「思考停止」に対しては,つぎの2つのことを見る必要がある:

    1. 「生涯学習教育」の実現可能性を計算するのは,実際,難しい。
      一般に,先の計算が困難なとき,ひとは「やってみなければわからない」のギャンブルをする。ただしこの場合,思惑先行が働く。<思惑>は理性麻痺であり,ギャンブルを「ギャンブル」として意識されないようにする。

    2. 「十分思考していないことを意識する」というのは,元来ひとが苦手とするところである。 思考が適切に意識対象化されるためには,対象に対するある程度確かな知識と高い理知力が必要になる。

        ひとは無理・無謀・冒険を,概して,無邪気にやってしまう。 ──邪気でやるのではない。


    一方,"If we build it, they will come" 調は,組織が厳に斥けねばならないものである。
    なぜなら,"If we build it, they will come" 調は,ほぼ失敗する。 そして,失敗したときの被害やこれに対する手当のことが最初からアタマにないから,失敗は無惨なものになる。(当事者は,被害を見てはじめて,思考停止でやっていたことを思い知らされる。)