Up 生涯学習教育推進論に対する批判の必要 作成: 2007-12-02
更新: 2007-12-02


    ひとは,一つのことをすべてのことにする。 特に,一つのケースで善であることを,すべてのケースで善であるとする。
    これは,思考の経済による<横着>で,それ自体悪いことではない。

    肝心なことは,ひとのこの傾向性についての理解をもつことである。
    特に,ひとが集団で行っていることに対しては,この<横着>の読み取りに努めること。 なぜなら,<横着>は<横暴>に転じる。そして,集団の<横暴>に自ら加担してしまうことになる。──集団心理!

    <横暴>とは何か?

    善は,裏返って,悪をつくる。
    すなわち,善に付き合わない者を,「けしからん者」「意識の低い者」にする。 集団の一斉行動には,必ずこれが生じる。 すなわち,集団の一斉行動では,必ず全体主義が醸成される。

    よって,善にされているものには,つねに警戒と批判が必要になる。
    生涯学習教育は,推進することが善になっている。 この風潮は,放任してはならない。


    言うまでもなく,生涯学習教育は「推進することが善で,推進しないことは悪」というものではない。 推進すべき場所がある一方で,推進してはならない (推進が被害甚大をもたらす) 場所もある。 よって,生涯学習教育を企画するときは,ケース・バイ・ケースの精緻なリサーチが必要になる。

    ひとにこの事実を閑却 (思考停止) させるものに,類型的な生涯学習教育推進論がある。 ひとはこの論に出会って,そんなもんだと思ってしまう。

    なぜ,簡単に了解するのか?
    ひとが簡単に了解して済ます言説には,一つの型がある。 すなわち,つぎのものが要素になっている:

      1. 流行
      2. 単純なロジック

    ひとは既にこの流行に乗っている。
    この流行を素材にして単純なロジックでフィクションをつくる。
    ロジックの単純さが,ひとにこのフィクションを信じさせるものになる。 (これは,心理学の一主題。)

    以上のような押さえで,ここでは生涯学習教育推進論の類型を見ていくことにする。 登場する「流行」は,以下のものである: