Up | 論述とメディアリテラシーの関係づけ | 作成: 2007-01-29 更新: 2007-01-29 |
そして,メディアを適切に選び・使う能力が,メディアリテラシー。 ここで肝心なことは,論述とメディアの先後関係である。 論述が先で,メディアが後。 「メディアリテラシーの陶冶のために論述をつくる」というのではない。 しかし,「メディアリテラシーの陶冶のために論述をつくる」は,「メディアリテラシー教育」によくあるタイプではないか? そう,よくあるタイプだ。 よくあるタイプだが,これは間違ったやり方。 どうして間違っているか? 学生が論述の内容にし得る世界はひどく貧弱。そして,論述の力もひどく弱い。 メディアリテラシーの陶冶のための論述づくりは,<愚にもつかない論述>の制作になる。 そして,愚にもつかない論述の制作なので,肝心なことの学習にならない。 「肝心なこと」とは? 論述に頭を使うということ。 頭を使わないのは,頭を使う気がないからではなく,頭を使うということがわからないから──要するに,頭を使えないからだ。 頭を使うことは,意志ではなく,能力である。 <愚にもつかない論述>の制作には,制作の醍醐味がない。 制作の醍醐味は,論述にとことん頭を使うところにある。 しかし,論述を先行させるなら,それは通常の教科教育の領分であり,「メディアリテラシー教育」の出る幕がないのでは? そう,「メディアリテラシー教育」は,単独のものとしては,本来出る幕がない。 論述の行為の中に自ずとメディアの使用が入ってくる教科教育が,自然な「メディアリテラシー教育」になる。 |