Up ヒト・ゲーム・メディアリテラシー 作成: 2007-03-04
更新: 2007-03-04


      ヒトは,ゲームをする生き物である。
      社会の中のいろいろなゲームに嵌るという形で,生きる。
      生きること自体が,ゲームをするということである。

      メディアの発達は,高品質なバーチャルリアリティや,生きる世界のグローバル化をもたらす。 これは,より強力なゲームが可能になることを意味する。

      子どもはアミューズメントゲームに嵌る。大人はマネーゲームに嵌る。
      メディアの発達は,このゲームを飛躍的に強力なものにする。

      自分のメディアリテラシーを向上させることは,このゲームの優者であるための条件になる。 優者になるためにメディアリテラシーの向上に努め,そしていっそう深く嵌っていく。

      人生・世界・メディアに対するしっかりした思想がなければ,ゲーム莫迦に転落する。
      強力なゲームに取り込まれた生活をしていることを,「豊かさ」「質の高さ」と取り違える。 また,それとは知らず犯罪に進む。


      メディアがメチャクチャ強力になった時代においては,思想性を考慮しないメディアリテラシー教育は,「アタマが空っぽ (モラルが低劣) な一方で力がメチャクチャ強い」人間をつくる教育のことになる。
      生きるとは,犯罪と紙一重の世界に生きること。(例えば,優れた広告と巧みな欺しは紙一重。) だから,「アタマが空っぽ (モラルが低劣) で力がメチャクチャ強い」は危ない。

      メディアリテラシー教育は,必ず意味/価値観/世界観を基礎に置いていること。
      特に,「なんでもいいからやってみよう」はダメ。 「なんでもいいからやってみよう」しかできないようだったら,メディアリテラシー教育を試みてはならない。