Up 結 語 作成: 2008-03-13
更新: 2008-11-25


    歴史には,「<軽薄>と<真面目>の行ったり来たり」が運動の一つとしてある。
    「改革」は<軽薄>のベクトルであり,「改革」に失敗し後遺症の手当に向かうのは<真面目>のベクトルである。
    目的論的に言えば,系には,自分が停滞し・死なないよう,「<軽薄>で壊し<真面目>で修復」の運動が DNA にプログラムされている。
    破壊はひどいものであり,破壊の時代にたまたま生を得た個体はかわいそうだが,種が生き残る形にはなっているということだ。

    学校教育という系では,行政が「<軽薄>で壊す」の役をする。
    行政は,構造的/宿命的に,「改革」のスイッチングを続けるところである。すなわち,<軽薄>のスイッチングをするのみである。

    「<軽薄>で壊し<真面目>で修復」の系の運動は,<軽薄>の度し難さという形で問題になる。 <軽薄>のうちには,ほんとうに「たいがいにしろ」と言いたくなるようなものがある。

    モンスターをつくってきた/今後もつくりそうな教育論は,この一つである。
    本論考 (『モンスター教育 (1) ─「モンスター」の意味』) は,この趣旨から,「モンスター教育」を主題化した。

    (本論考は,『モンスター教育 (2) ─ 学校教員養成課程』に続く。)