1.2 数学教育のドライな理由
教育を考える視点には,政治的な視点もあります。政治的には,社会には数学的才能が一定数必要です。また,社会成員には,数学教育が分担的に「一般陶冶」するところのある水準の知性が望まれます。
最初から進路を決めて生きる者などいません。これまでの学習の経緯が,先の進路を決める手がかりになります。これからの進路のレディネスになります。したがって,「無目的な学習」の期間は不可欠なのです。
数学の機能は明確です。すなわち,数学は生産の道具です。そして,数学を生産の道具として本格的に使えるためには,「無目的な数学学習」がレディネスとして必要です。
そこでわたしにとっての数学教育の問題はつぎのようになります:
《「無目的な数学学習」を受容してもらうには,どうしたらよいか?》
そして答えは,できてもできなくてもつぎのものしかありません:
《「無目的な数学学習」をそれ自体でおもしろいものにする》
これは「だまし」ですが,被害者を生むものではありません。「無目的な数学学習」で学習者は「一般陶冶」され成長します。これは学習者にとって利益です。逆に,この「だまし」をしなければ,学習者は「理数離れ」を選んで将来的に損をします。
ようするに,おいしくはないが栄養のあるものを味付けでごまかして食べさせるということを,数学教育においてもしようということです。