Up 「先生・生徒」の役割ゲーム 作成: 2006-12-03
更新: 2006-12-03


    例えばニワトリに対し,授業はできない。
    なぜできないか?
    そもそも<生徒>になってくれないからである。

    授業が成立するためには,「先生・生徒」の役割ゲームが成り立っていなければならない。
    このゲームの了解ができていないところでは,授業は (「崩壊」を言う以前に) 起こることもない。


    このように,授業とか学校というものが成立するためには,いくつもの基本的なことが成り立っていなければならない。 そしてこれらは,あまりにも当たり前すぎて/暗黙的すぎて,授業や学校が順調なときには意識にも上らない。
    逆に,これらに問題が起こると,授業や学校は根底からひっくりかえる。

    「教室の私語」とか「学級崩壊」は,「先生・生徒」の役割ゲームが弱くなっていることが症状として現れたものである。 ──「児童生徒のニワトリ化」が,これの意味。


    「児童生徒のニワトリ化」はなぜ起こるのか?
    答えは簡単で,ニワトリ化させないことを周りが努めてしなければ,ひとはニワトリ化する。 ニワトリ化させない努めがいろいろなところでサボられると,ニワトリ化した児童生徒が大挙して発生する。

    人は,長い時間を経て,「ニワトリ化」を起こさせない構造を社会の中に築いてきた。 どれがそれと言うことは難しい。それは複雑で根底的で暗黙的な関係性がつくる構造である。
    これらは目に見えず,気づかれにくいので,不注意に壊してしまうことがある。

     註 : この破壊を行うのは,実は多くの場合が,「進歩的改革」。
    一個の人間が,社会の複雑な構造を洞察するのはほとんど無理。結局,「進歩的」は「軽薄」といっしょになる。 「進歩的改革」がきまって「ニワトリ化」を招くのは,このためだ。