Up 分 裂 作成: 2007-10-16
更新: 2007-10-16


    イデオロギーについて理解しておくべきことの一つに,思想的グループの分裂・分派形成のメカニズムがある。
    この理解は重要である。なぜなら,これの理解がないところでは,分裂・分派が「正しい -対- 正しくない」の問題として受け取られ,「正しい -対- 正しくない」で争われるからである。


    グループは,大きくつぎの2タイプに分けることができる:
    1. 共通の敵に向かうためにつくる (外向)
    2. 自己研鑽のために内に向かう話を求めてつくる (内向)

    A タイプは,四分五裂する。
    なぜか?

    分裂の原因/理由になるものは,意見や思想の対立ではない。
    実際,「人それぞれ」は,お互い了解されている。 意見や思想の対立はあたりまえで,それ自体はどうということはない。

    分裂を生み出す当のものは,個人のつぎの思いである:
      自分の思うような敵攻撃が,いまのグループではできない
       ──ズラされてしまう
    そしてこれが,
      自分の思うような敵攻撃を共有する者同士 (思う存分/気持ちよく敵攻撃できる者同士) で新しくグループをつくろう
    に進む。

    しかし,分裂で新しいグループがつくられるとき,「自分の思うような敵攻撃」も自ずと変わることになる。 (実際,「自分の思うような敵攻撃」の制約因子のうちには,グループ自身がある。) また,状況は変化するものであり,「敵攻撃」の内容もこれに応じて変化を強いられる。
    そこで再び,
      自分の思うような敵攻撃が,いまのグループではできない
       ──ズラされてしまう
    になる。そして,また分裂となる。


    自分の思うような敵攻撃が,いまのグループではできない──ズラされてしまう」とは,どういうことか?

    グループの中で,個 A が自分の「敵攻撃」を他の者に示す。 他の個 B が,この「敵攻撃」の内容にリアクションする。
    A の「敵攻撃」は A の思想性の上に乗っかっている。 そこで,B のリアクションは A の思想性に対するリアクションになる。

    「共通の敵」タイプのグループでは,「そうだ,あなたの言っている通りだ!」が当然返ってくる,という空気になっている。
    A にとって,「敵攻撃をする自分」の方が問われてくるのは,意外なことになる。

    「自分が問われる」が最初から目的としていることならば何を言われてもだいじょうぶなのだが,「自分は問われるはずはない」の思い込みがあるところで問われてしまうと,「自分の思うような敵攻撃が,いまのグループではできない──ズラされてしまう」「ここは自分の居るところではない」になる。


    「共通の敵」タイプのグループの問題は,自分を安直に「正しい者」にしてしまうことである。 「自分はほんとうに正しいのか?」の問いに思考停止する。
    「自己研鑽」タイプのグループの場合は,発信する個はつぎの心構えをもっている:
      自分はどんなリアクションを想定するか
      実際のリアクションをどう受け取るか
    一方「共通の敵」タイプのグループでは,この心構えが欠けてしまう。