「自分は学校教育を改革できる」というふうに思わない者は,学校教育の改革に自ら乗り出そうとはしない。
「自分は学校教育を改革できる」と思う者が,学校教育の改革案をつくり,これを実施しようとする。
あたりまえのことを言っているわけだが,ここが重要な点である。
「自分は学校教育を改革できる」は,特殊なタイプの人間が思うことである。
実際,つぎのように思っていることになる:
- 学校教育はダメになっている。
- 学校教育がダメになっているのは,学校教育をやっている人間がダメだからだ。
- 自分は彼らのようではない (自分は優れている)。
- 自分が指導的立場に立って学校教育改革を進めることで,学校教育はよくなる。
「自分は彼らのようではない──自分は優れている」は,思い込みであり,根拠のない思い込みである。
なぜ,根拠のない思い込みが起こるのか?
素人だからである。
素人の眼には,世界は単純である。
この眼には,世界がつぎにように見える:
- 世界は,ダメになっている。
- 世界がダメになっているのは,住人がダメだからだ。
- 彼らはダメだと思っていない。自分はダメだと思うことができる。
自分は彼らのようではない (自分は優れている)。
そしてこの素人の中から,さらにつぎのように思う者が現れてくるわけだ:
- 自分は,指導的立場に立って世界を改革すべき者である。
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