Up デモクラシーと科学的合理主義 作成: 2006-01-29
更新: 2006-01-29


    デモクラシーの重要な要素の一つに,科学的合理主義がある。

    デモクラシーは,科学的合理主義を信奉するわけではない
    デモクラシーの要素になる科学的合理主義は,プラグマティズムと併せたものになる。すなわち,デモクラシーを築き,維持・発展させるための手法として,科学的合理主義を採る。


    狭量な人間は,物事の評価において,局面局面で振り子のように判断が揺れる。 即ち,物事 A に拙いところを見たらアンチ A につく。そして,アンチ A に拙いところを見たら再び A につく。
    これでは,個の多様性に<智>を見ることを原理とするデモクラシーは立たないし,文化の蓄積も発展もない。

      振り子の好例は,学校教育。文科省が打ち出す学習指導要領は,「行ってはまた戻って」で,蓄積・発展が見られない。

    振り子を起こさないためにはどうするか? 「物事に対する慎重で精緻な捉え」を自らに課す。
    どのような形で課すか? 「科学的合理主義につく」という形で課す。

    科学的合理主義は,分析や推論を厳格化し,短絡を戒める。これによって,自ずと物事の複雑な相が見えてきて,「白でなければ黒,黒でなければ白」のような揺り戻しを避けられる。

    しかしこれが成り立つためには,社会の成員が科学的合理主義を能力の一部にしていなければならない。そこで,デモクラシー社会では,科学や論理の教育が重要になる。

      「理数離れ」をつくってきた日本のここしばらくの学校教育は,愚劣である。結果として,デモクラシーと教育の関係を理解できない者が主導してきたということになる。


    繰り返すが,デモクラシーは科学的合理主義を信奉するわけではない。デモクラシーは科学的合理主義を方便として使う。それは,議事法や社会の各種ルールについても同様。デモクラシーは,議事法や社会の各種ルールを信奉しているのではなく,これを方便として使う。──この意味で,デモクラシーはプラグマティズムを哲学としている。