Up 先人探求 作成: 2007-04-03
更新: 2007-04-03


    ひとは,歴史探究・古典探求という形で,先人探求を行う。
    「温故知新」ということばもある。
    ひとはなぜ先人探求に向かう?

    指向性に,(互いに逆の) つぎの2つがある:

      • 先人の愚を知る (失敗学)
      • 先人の賢を知る

    「先人の愚を知る」の意図は,「自分も同じ愚にある者として,同様の間違いを冒さないよう準備しよう」。
    一方,「先人の賢を知る」の意図は,「自分の未熟ないし相対性 (自分がなんぼのものか) を理解・認識しよう」。


    「先人の賢を知る」の効用は何か?
    例えば,古典。すごいものが淘汰されて残ってきているわけだから当然すごいのだが,やはりその賢の圧倒的すごさに感嘆する。
    この体験は,自分の価値観に影響する──価値観 (「何が大事か?」) を形成していく。

    先人の賢の探求から形成されてくる価値観は,「改革」に対するスタンスの取り方に現れてくる。 「自分の生き残り=自分のいまの図体の維持」ではなく「先人の賢の遺産としての本業の改革」の発想になる。 自分本位ではなく,本業本位になるわけだ。

      本業本位の「改革」は,自分本位の「改革」とはつぎのように方向性が違ってくる:
        自分本位:自分のいまの図体の維持
        本業本位:自分のいまの図体の適正化

    ここで肝心なことは,本業本位の立場は,「自分の生き残り=自分のいまの図体の維持」を成功しないものとするということ。
    本業本位は,つぎのように考える:
      「自分は本業の王道の上に生かされる」
      「自分のいまの図体の維持を思って邪道に進むことは,自殺行為でしかない」


      君子務本,本立而道生 (君子本(もと)を務む。本(もと)立ちて道生ず。)
      敬事而信 (事を敬して信。)
                            ──『論語・学而第一』