Up | モラル・求道・デモクラシー | 作成: 2006-12-17 更新: 2006-12-17 |
求道とは,その道において自分が強くなるようにすること。 強さを求めてジタバタを続けていくと,「強さ」がますます深い意味で自分の問題になってくる。 その「強さ」は,「モラル」と重なっていく。 これは,「道」が何であっても起こること。 道ごとにモラルができあがる。 『国家の品格』(藤原正彦著) が,ブームになった。 これの内容紹介に,つぎの一文がある:
ここにある「民主主義よりも武士道精神」に関連してだが,『武士道に学ぶ』(菅野覚明著) という本がある。 読んでいるうちに,「武士道」を「極道」(映画で見るあの極道) に置き換えてもそのまま読めてしまうと思えてきた。 悪のりして,「テロリスト道」にも置き換え可。 「武士道」に比して「極道」や「テロリスト道」がネガティブな意味になるのは,後者がはた迷惑であり物騒であるから。 しかし翻って考えれば,「武士道」もはた迷惑・物騒に違いない。 どんな道でもそれを極めた者は同じ一つの「立派=モラル」に至ると考えたいところだが,そうはならない。道の違いには,「互いにはた迷惑・物騒な」モラルが応ずる。 そこでここから,つぎの推理となる: これに対する一つの答えが, 世界観としての「個の多様性」と,方法としての「自由主義・デモクラシー」である。 「個の多様性」「自由主義・デモクラシー」は,このように冷徹な世界認識に立っている。 ──この冷徹さが,一般によく理解されていない。それは,「個の多様性」「自由主義・デモクラシー」が多分に情緒的・左翼的な意味曲解・変調を歴史的に被ってきたためである。 |