Up 「モラル欠損」の意味 作成: 2006-12-25
更新: 2006-12-25


    ここしばらく,「モラル欠損」がいろいろな形でマスコミに取り上げられている:

    • 図書館の図書が傷つけられる(特に,切り抜かれる)
    • 給食費の不払い
    • 非常識な救急車利用
        (読売新聞 2006-11-25 の記事「悪質119番許さない」の「横浜市で実際にあった119番通報の例」)
      • 「子供が熱を出した」の通報で駆けつけたが,具合が悪かったのはペットの犬
      • 救急車が到着すると、通報者が荷物を持っていた。検査入院のためにかかりつけの病院まで搬送した。
      • 「寒気がする」との通報だったが、ストーブのつけ方が判らないだけだった。
      • 腹痛の通報で救急車が駆けつけたところ留守。通報者は空腹のため、買い物に出ていた。
      • 「子供に熱がある」と通報した親が、救急隊に保険証を渡して「近くの病院に連れて行って」。子供は近くで遊んでいた。
      • 車で病院に行こうと思ったが、「酒を飲んでいるので運転できない」と救急車を要請
      • 「夫婦喧嘩をして家を出たが、様子を見に行って欲しい」


    「図書館の図書が傷つけられる」は,いまのところ「傷つけられた図書を発見」のストーリーで,「図書を傷つけているところを発見」のストーリーではない。
    そこで考えることになるのだが,図書を傷つけているところを発見の場合,図書館員はどういう行動に出るか?

    「図書館の図書を傷つける」とは,想定されていない行為である。 「図書館の図書を傷つけてはいけません」という注意は,本来あり得ない。 「図書館の図書を傷つける」という行為は,社会通念では,<悪意>か<狂気>になる。
    よって,図書を切り抜いている相手に対して何か行動を起こすときは,相手の手にある刃物が自分に向かってくることの覚悟もあってのこととなる。


    「モラル欠損」は,子どもの段階では「未熟」の意味になる。よって,注意や教育でこれに対する。 一方,オトナの「モラル欠損」は,「得体が知れない」の意味になる。 モラル欠損のオトナは想定外であるからだ。
    実際,モラル欠損のオトナは,不気味な存在──普通に対することのできない存在──になる。

    「モラル欠損」の社会問題は,単に「迷惑行為をする行儀の悪い者が増えてきて困る」という問題ではない。「得体が知れず相手にできない者が増えてきて困る」という問題である。

    自分とは異質であっても,何か一つの類型におさまっている相手 (異種) とは付き合える。 しかし,類型の立てられない相手 (新種) とは付き合えない。

    自由主義・デモクラシーで謂う「個の多様性」は,異種の多様性である。 これは,既存の枠組みにおさまる。 一方,新種は,既存の枠組みから外れる。
    これが「モラル欠損」の社会問題化の意味である。 ──実際,「モラル」の要点は「新種の抑制」にある。