Up | 要 旨 | 作成: 2006-11-07 更新: 2006-11-07 |
本来,生徒にこのような疑問が起こってあたりまえ。 しかし,多くの生徒は普通この疑問をやり過ごしている。 (これは,「なぜ生きるのか?」の疑問をやり過ごして日々生活しているのと似ている。) ただし,あくまでも「やり過ごしている」だけ。疑問は抱えたまま。 この疑問を抱えたまま,義務教育の9年間,さらには高校の3年間,といった長い年月を過ごす。 それは,意義や目的を知らされないでずっと宙ぶらりんでいる状態。 ──臨時停止した電車で停止の理由を知らされないまま待ちの姿勢を余儀なくさせられたら,たまらない。意義や目的を知らされないで宙ぶらりんでいるとは,このようなこと。 宙ぶらりんは耐えられないから,意義・目的をつくる。 例えば,「受験のため」。 しかし,この意義・目的にも自分を合わせられない者が存在する。 また,この一方で,学校の現実や制度に対する疑念が形になって現れることを不利に感じる者たちは,建前論 (虚構) しか言えないような雰囲気形成を行う。すなわち,本音 (真実) をアンダーグラウンドに封じる。 こんなわけで,生徒は自分の疑念をうまく受け止めてくれるものを持たない。 この場合,生徒は「自分の方に問題がある」と思う。そして,疑念に関しては自閉してしまう。 ──やっぱり,宙ぶらりん。 そこで,この学校編では,生徒たちの宙ぶらりんを些かでもマシにできたらという思いで,学校とは何か?学校はどうなっているか?を論ずる。 すなわち,彼らにつぎのように言ってやれることが,本編の目的である:
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