Up 「研究」という行動様式を自分のものにする 作成: 2006-05-04
更新: 2006-05-04


    自立的に学習することを「研究」と謂う。
    自立的でない学習は,「教えてもらう」。──誰かを「教師」にして,依頼心をもって学習する。

    学習を,一つの<世界>を得ることと考えてみよう。
    依頼心は,教師を求め,教師から<世界>を授かろうとする。
    これに対し,自立心は,<混沌>の中に進んで飛び込み,<世界>を得る手がかり (データ) を求め,データを整理し,世界地図を仮構し,それが使えることを調べ,使えることを確認して「<世界>を得た !」とする。

      例: 見知らぬ地の旅行を,依頼心で行うと自立心で行う。
      未体験の分野の営業を,依頼心で行うと自立心で行う。
      コンピュータの学習を,依頼心で行うと自立心で行う。
      数学の「方程式」の概念理解を,依頼心で行うと自立心で行う。


    学校での学習のゴールは,「研究」ができるようになること──「研究」という行動様式を自分のものにすること。

    「研究」の行動様式を自分のものにする方法は,「一つの研究をきちんと最後まで行う」を実行すること。 すぐに途中で投げ出し,他のことに手を出す,あるいは教師に助力を求めるをやっては,いつまでたっても「研究」の行動様式が自分のものにならない。

    研究は,先ず,つぎのことに慣れること:

    • 五里霧中 (「さっぱりわからない」)
    • 時間がかかる
    • 無駄骨,失敗

    そして,つぎのことを知ること:

    • 継続していると,やがて霧の中から<世界>が見えてくる。
    • 継続こそが力。
    • 「無駄骨」「失敗」と見えたものは,決して無駄骨,失敗ではない。──成功に至るための要件であると同時に,副産物であったり,新たな展開へのきっかけであったりする。


    研究は,周りからはダラダラやっているように見える。怠けているように見える。しかし,内面では集中状態が続いている。これが「研究」という行動のスタイルだ。

    したがって,十分な時間の担保がなければ,学校教育で研究は指導できない。

    • 短期的なゴールを目指すような教育体制 (例:受験指導中心,資格·免許取得指導中心) では,研究指導は行えない。
    • 「各種資格の取得のため,散漫に科目履修」「学校の授業の後はバイト」「就職のための勉強を優先」タイプの学生に対しては,研究指導は行えない。

    また,言うまでもないが,研究指導を担当できる教員が揃っていなければ,学校教育で研究は指導できない。

      例:文科省主導「ゆとり教育」の誤り
      • 毎度の行ったり来たり (形式陶冶と実質陶冶の間を振り子が揺れる) であることを理解しようとしない。( はやりに惑わされないこと)
      • 研究指導の方法論および教員の担当能力の両方が白紙のまま,見切り発車。
      • 「ゆとり」を,カラダのゆとりにしてしまい,学習内容を減らす。
        (研究指導で必要なのは,薄い教科書ではなく,分厚い教科書!)
      • 「教える」に対する罪悪感を醸成。
      • 結局,「教える」の低下だけが残り,生徒の学力低下をもたらした。