Up 「思考停止」とは? 作成: 2007-12-11
更新: 2007-12-11


    ひとは思考の経済 (横着) をいろいろな形でやる。 その中の一つに「思考停止」がある。
    思考停止とは,本来思考すべきことの思考をしないことである。

    「本来思考すべきことの思考をしない」は,原因/理由・状況・主題等の違いによっていろいろである。 そして,カテゴリー区分をいろいろ立てることができる。

    ここでは,つぎのカテゴリーを考えてみる:

      A1. <思考すべきことがある>を知らない/意識してないから,思考しない。
    A2. <思考すべきことがある>を知っている/意識しているが,思考しない。
    B1. 思考すべきことを知らないから,思考しない。
    B2. 思考すべきことを知っているが,思考しない。
    C. 思考することができなくなっていて,思考しない。


    A1. ひとは,平生の生活においてはほとんどのことを思考しない。 出来事一つ一つに「これは何だ・なぜだ・どうなっている?」の問いを立てるようなことはしない。 すなわち,「<思考すべきことがある>を知らない/意識してないから,思考しない」が通常の在り方である。

    「<思考すべきことがある>を知らない/意識してないから,思考しない」者に対して<思考すべきことがある>を知らせる/意識させる働きかけを,「啓蒙/啓発」と謂う。

    A2. 「<思考すべきことがある>を知っているが,思考しない」も通常の在り方である。 実際,「余裕がない」「面倒」の理由で,思考に及ばない。


    B1. 「思考すべきことを知らないから,思考しない」は,「無知・無学」の意味になる。 「思考すべきことを知らないから,思考しない」者に対して思考すべきことを知らせる働きかけを,「教育」と謂う。
    もし,思考すべきことが教師のいない分野であれば,「研究を促す」という働きかけになる。

    ひとは,複雑系を前にすると思考停止する。 この「思考停止」は,「研究を促す」が働きかけになる場合である。

    B2. 「思考すべきことを知っているが,思考しない」も通常の在り方である。 これにはつぎの2タイプがある:

      B2-1. 「余裕がない」「面倒」の理由で,思考に及ばない。
    B2-2. 「複雑/難解過ぎてわかることではない」にして,思考に及ばない。


    C. 「思考することができなくなっていて,思考しない」は,ひとがパニックに陥る場合である。 あわてる・狼狽するとき,ひとは思考しない。──ひとのカラダはこのようにできている。


    思考停止は悪いことではない。それには,合理性を見ることができる。
    一方,思考停止でひとが事業に及べば,その事業は社会的被害・害悪をもたらす。 ──このとき,思考停止はきびしくチェックされねばならないものになる。

    この観点から,以下,つぎの「思考停止」を取り上げて考察する:

    • 「無知」とイコールの思考停止 (A1, B1)
    • 複雑系を前にしての思考停止 (B2-2)
    • 狼狽による思考停止 (C)
    • 居直りとしての思考停止 (A2, B2-1, B2-2)