Up 「よい授業」の条件 作成: 2007-06-16
更新: 2007-06-16


    「よい授業」とは,生徒を理解に導くことに成功した授業のことである

    教員養成課程の学生に授業設計させると,最初のうちは,アタマにあるのは「体裁」ばかりで,肝心の「理解に導く」はアタマにない。

      「理解に導く」がそもそもどういうことかわからないところからの出発なので,これはやむをえない。


    ひとが何かを理解するとは,すごくたいへんなことである。
    理解は簡単でない。
    お手軽なやり方では,ひとを理解に導くことはできない。
    例えば,「伝える=聴かせる」は,理解に導く方法にはならない。
    特に,算数・数学科の場合はそうである。

    ひとを「理解に導く」とは,どんなことをすることか?
    それは,あーでもないこーでもないといろいろ考えさせ・やらせること,そしてたくさん疑問を出させることである。
    理解するとは,カラダのものである。
    耳をすませて聴くことではない。


    「よい授業」とは,生徒を理解に導くことに成功した授業のこと。 そして,理解に導くためにすることは,あーでもないこーでもないといろいろ考えさせ・やらせ,そしてたくさん疑問を出させること。
    よって,つぎが導かれる:

      あーでもないこーでもないといろいろ考えさせ・やらせ,そしてたくさん疑問を出させることができていない授業は,「よい授業」ではない。