Up | 「子どものアタマで授業づくり」に無自覚 | 作成: 2007-06-15 更新: 2007-06-15 |
この意味で,いまの自分は「最高」であると思っている。 授業づくりの課題に取り組む学生は,
そこで,「興味をもたせる」「わかりやすく話す」「教材を工夫する」といった指導法に専ら意識が向く。 学生は,授業として教えるものをもっていない。──これが事実。 教科の主題についての彼らのアタマは,小学校教科なら小学生のアタマと同じ,中学校教科なら中学生のアタマと同じである。 実際,それ以上になるようなことを,してきていない。 小学生のアタマで小学校教科を教えようとし,中学生のアタマで中学校教科を教えようとする。 彼らは,自分のアタマの中にあるものが「主題の理解」だと思う。 自分のアタマの中にあるものとは別に「主題のほんとうの理解」がある,ということがわからない。 そこで,平気で知らない国の話をする。──知らない国の話をしているとは自分では思っていない。 教員養成課程では,自分のアタマの中にあるものとは別に「主題のほんとうの理解」があるということを,学生にわからせようとする。 しかし,これがほんとうに難しい。 学生には,「いまの自分は,成長によって否定されるものである」という意識がない。
これ以上,何をしなければならないというのか?」 大学の学生の自学習時間は,小学生より短い。まったく自学習しない大学生はざらである。 なぜ,自学習しないか?
しなくてもたいしたことはない。惰性でだいじょうぶ」 アタマは子どものままだが,年齢が「もう大人だ」と錯覚させている。 |