Up はじめに 作成: 2007-06-19
更新: 2007-06-22


    この章の趣旨は,「教員養成課程の学生であるとは,どういう立場にいることなのか」を伝えること。

    教員養成課程の学生は,教員になれるための修行を積む立場にいる。
    教員養成の場合,「修行するしないは個人の勝手」とはできない。質の劣った者が教員になれば,その生徒が被害者になるからだ。

    しかし,「修行」の意味・内容を知らずに修行はできない。初心者が修行に入れるためには,やはり修行に入らせる指導が必要になる。

    本章は,教員養成課程の学生が修行に対しどのような構えで臨むことが必要かを述べる。ただし,読者が要点を取り損なわないよう,話を短く簡単に済ませるようにする。


    ここでは,学生のことを徹頭徹尾「未熟者」として論じる。
    学生をこのように扱うことに反発することは,無用である。学生とは未熟者のことである。

    ただし,「未熟者」である学生にもいろいろある。 しかし,この「いろいろ」に対応するようにものを言うことは,とてもできないし,またそんなことをしたら,量においても内容・構成においても,読むに耐えない話になる。
    そこで,本書ではさらに,思いっきり一刀両断的なものの言い方をする。

    本書で述べられる「学生」が自分には当たらないと思ったら,自戒のつもりで読むといいだろう。


    教員は教職に就いた最初のときから,「教師」である。──実際にはそうでないのにもかかわらず,「 教育のプロ」ということになってしまう。

    「教育のプロ」への道は修行の道。教員はずっとこの修行の道を歩む者である。

    この道の最初が,教員養成課程。
    教員養成課程は,修行の道を歩めるカラダをつくる課程である。

    修行することを気持ち/ 意志の問題のように考えていると,失敗する。
    修行すること自体が,能力。そしてこの能力は,修行することでつくられる。