Up 集客主義/商売主義で入試方法をいじらない 作成: 2006-11-04
更新: 2006-11-04


    法人化以降,国立大学は財政的自立の取り組みにおいて評価されるようになり,特に,入試方法を集客主義/商売主義的にいじることが評価されるものになってしまった。
    大学はこれが誘ってくる邪道 (例えば,入試の低レベル化など入学のハードルを低くすることで集客しようとする) に自ら警戒する必要がある。

    学校教員養成大学/課程も,この中にいる。
    集客主義で入試方法をいじることが「やってはならないこと」と理解されるのはむずかしくないが,その間に進行した<悪貨良貨駆逐>を是正しやり直すのはたいへんな行程になる。


    学校教員養成大学/課程は,<学校教員になってだいじょうぶな人材>のアウトプットを課せられている。
    だれでもこの課程に入れるか? すなわち,この課程に入ればそれだけで<学校教員になってだいじょうぶな人材>に育つのか? もちろん,こうはならない。だれでも教員になれるわけではない。

    よって,学業をやっていく力が弱いのに入試の低レベル化のおかげで入学できた学生もまた,悲惨なことになる。


    こんなわけで,学校教員養成大学/課程の場合,集客主義で入試方法をいじることは厳禁である。

      「厳格な成績評価」の意識が高く,成績不良の学生をきちんと落とすことができるのなら集客主義もあり得るが,いまの大学の意識レベルは依然,「落としたらめんどう」「落としたらかわいそう」の理由で,箸にも棒にも引っかからないというのでなければ「みんな卒業」にしてしまうというもの。 よって,集客主義で入試方法をいじらせてはならないのだ。

    あたりまえで,言うさえ愚かしいが,集客主義が現実に進んでいる以上,つぎのことを確認しておこう:

    1. 学校教員の仕事の中心は,教科教育。
    2. 教科教育は,教科の内容を理解でき教えることのできる者が担える。
      教科の内容を理解し教えることは,だれにでもできるのではない。
    3. 入試 (入学選抜) は,在学期間中に「教科の内容を理解し教えることのできる」能力を獲得できると思われる者の選抜である。 このためには,教科に対する受験生の学習能力を大学が自分でしっかり見ることのできる選抜方法を実施しなければならない。
    4. 特に,内申書 (ひとの報告)・記述試験 (教科学習能力の判定と無関係)・面接 (受け取りは人様々) による選抜は,「教科の内容を理解し教えることのできる」能力の選抜にはならない。すなわち,学校教員養成大学/課程が用いるものには本来ならない。