Up | 被曝生物 : 要旨 | 作成: 2023-07-13 更新: 2023-07-13 |
この作業は,放射線を浴びながらの作業になる。 よってこれは,決死隊の作業である。 決死隊がそもそも成るものでなければ,核崩壊を放置するということになる。 放射線は,体の細胞にダメージを与える。 ダメージが強ければ,細胞は死ぬ。 DNA は少しのダメージでも,細胞の壊死につながる可能性がある。 幹細胞の DNA の損傷は,体の壊死につながる。 そして生殖細胞の DNA の損傷は,つぎの代の体の障害につがなる可能性がある。 被曝は,鉄砲の弾に当たるのと同じである。 弾1個の打撃は同じである, ダメージの大きさは,<当たり所>に依る。 原爆の同じ被爆者でも,短期間のうちに死ぬ者と高齢まで生きる者の違いが出てくる。 爆心からかなり離れたところで被曝した者が原爆病で死に,爆心に近いところで被曝したのに長生きする,ということも起こる。 死ぬのは当たり所がわるかったからであり,長生きしたのは当たり所がよかったからである。 放射線量は,弾の数に相当する。 弾の数が増えると,危険箇所に当たる確率が高くなる。 よって被曝は,放射線量が多いほど危険となる。 放射線密度は,核崩壊物質からの距離の2乗に反比例する。 (理由:球面の面積は半径の2乗に比例する。) 核崩壊物質から1km 離れたところで 1ミリシーベルトであれば,10 km 離れたところでは,1ミリシーベルトの 10−2 倍,即ち 10 マイクロシーベルトになる。 100 km 離れたところでは,1ミリシーベルトの 100−2 倍,即ち 0.1 マイクロシーベルトになる。 こういうわけで,メルトダウン事故を放置するしかないとなったときも,生命の潰滅的被害といったものにはならない。 このときひとは,「自分は,事故現場からどのくらいの距離のところなら住んでもよいか」で,個の多様性を現すことになる。 そしてこの振れ幅は,ひじょうに大きいものになる。 実際,福島第一原発事故のときは,沖縄の方に移住した者もいたくらいである。
「自分は,事故現場からどのくらいの距離のところなら住んでもよいか」の振れ幅は,つぎの<人様々>の振れ幅である: ただし,行政は事故対応のやり易さを優先するので,「事故現場から○km は立ち入り禁止」「事故現場から○km は居住禁止」を発令することになる。 そして,「安全」について細かく批判されたくないので,距離を大き目にとることになる。 ひとは,原発事故を人間に関してしか考えない。 本来なら「被曝が生物に及ぼす影響」の視点で考えるものである。 事故現場にずっといる生き物がいる。 被曝はそれらにどんなふうに影響したのか・しなかったのか? これが知りたいところである。 なぜ? ひとは,原発事故を覚悟せねばならないからである。 そして原発事故に際しては,これまでの生活を捨てねばならぬほどのものかどうかを,行政/専門家に任せるのではなく,自分で判断したいからである。 |