三井美唄炭鉱発起時
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『足跡 : 三井美唄35年史』, pp.66,67
昭和3年8 月1 日は三井美唄始りの日であるが, それまでのヤマは, ポンプも捲揚げも全部蒸気だった。
採炭にもドリルを使わず, 大工のクリックポールのように腹にあてオーガーをつけて手で廻した。
運搬はへソ押し, 水流し,ユリコンベ, 半コロ, スラバコに分けたが, これを説明すると
"へソ押" はV型トラフにあて篏る板にT字型に棒をつけてトラフの縁に両手をかけて,棒をへソのあたりに当てて,押していくのである。
"水流し" は切羽に出てくる水を集めて, トラフに入れて流す方法である。
"揺りコンベ" はシェーカコンベヤのようなもので,針金で吊り, 足をふんばってヨイサッ, ヨイサッとかけ声諸共人力で揺するのである。
"半コロ" は廃車の4分の1位の大きさの木函に小さい車をつけてタル木をレール代りにして. その上にのせてひっぱっていく方法である。
"スラバコ" は一寸傾斜のところで. 車では軽すぎ.V型トラフでは流れないところで使うもので,車輸の代りに滑り金をつかったものである。
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川島 (1933), p.894
火藥 主としつ甲櫻グイナマイト及スペシヤルゼリグナイトを用ひ,夾炭層附近には二號硝安ダィナマナイトを使用せり、
雷管は8號雷管、導火線は特A印緩撚導火線を用ひたり。
支保 道坑掘鑿中は假留を施し、追切完成の部分に於て岩質軟弱の個所は坑木又は45瓩 (90lb.) 軌條を以つ支柱を施し、硬質岩の部分は之れをアーチ型に切拡め、セメントガシを用ひつ岩面にガンナイトを吹き付け,以つ風化を防止す、‥‥‥
通氣 連延を入氣、本延を排氣とし,間隔200米毎に目抜を以て両者を連絡しつ通氣を計る、
之が爲め,本延抗口に20HP 600立方米の吸出式シロツコ扇風機を据付け、又両引立には1HPバノブロァーを用ひ,局部的逼氣を行ひたり。
軌條 本延、連延共に単線にして,
軌間 610粍にして,
軌條の大きさ,導坑掘鑿中には12瓩を用ひ,追切完成後は22瓩と敷替へたり。
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黒田 (1936), pp.522,523
採炭様式は片磐向前進式長壁法で、片磐の間隔は従来100m を保って来たが,1切羽の出炭を増加するため最近新しい片磐は150mにした。
2坑から採掘して居る中層群5番層には松岩が多く、容積で石炭との割合は30% に及ぶので,コールカッターを使用することが頗る困難であるから、止むを得ず鑿岩機とコールピックとを併用して手掘採炭を行って居るが、共他の1坑、3坑、4坑は殆んど全部機械採運炭である。
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穿孔機は ‥‥‥
爆薬は石炭にはチタ乙硝安グイナマイトの電気発破であるが,採炭切羽は極めて少量で、主に引立掘進に使って居る。
岩石坑道の掘進は膠質ダイナマイト導火線発破で,‥‥‥
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同上, p.67
昭和3年11月に電気の機械が入った。
昭和4年の暮にデタチャプルチェーン (ダルマチェーン) が砂川から人.った。
この取付けは現在なら3時間位でできるものを当時は1昼夜かかつてはめられたのである。
これがヤマの機械化の始まりといってよい。
それからコンプレッサー・ハンマー・カッターと機械化の歩みが始まった。
コールカッタが入って来たのは昭和5年頃でアメリカさんがついてきた。
サリバンの30馬力のC L E 2型というのである。
この時は黒金文治さんがアメリカさんの後山として操作を習った。
アメリカさんがカッターの上にのり "金てこ" 2本持って楽々と動かしている。
代ってやって見てもテコでも動かなかったそうである。
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