Up 鉄道引込 作成: 2024-02-06
更新: 2024-02-27


      川島 (1933), pp.896
     從來の積込場は美唄驛に接近せるを以て,鐵道岐線は僅かに1.3粁 (0.8哩) に過ぎざりしが、薪設計に於ては岐線o終端は出來得る限り竪入坑口に接近せしむるを有利とするを以て、岐線は地形及勾配の許す限り奥部に突込み,全長4.2粁 (2.6里) の新線を布設し、完成後全部之れを鐵道省に寄附したるものにして,現在省線たり。

黒田 (1936), p.524
選炭場


美唄市『写真で見る美唄の20世紀,』,2001.から引用:
1932年


滝 昇之助『美唄町史』,1940. から引用:
左に三井美唄礦業所,前方に選炭積込場



川島 (1933), p.892


川島 (1933) p.890
比較:光珠炭鉱



国土地理院空中写真 (1962)




MILKY WAY WORKSHOP「三美運輸 構内図」


      MILKY WAY WORKSHOP「三美運輸 構内図」
    ‥‥‥ 南美唄駅から東に向かって線路が延びている。 築堤の下をバス通りがくぐるあたりから、右にカーブし緩い勾配を登りきった先にヤードがあった。
     ヤード入口に工場に向かう分岐があって、B6が数両の貨車を牽いて3〜400mを往復していた。 たしかコークス工場だったと思うが、確証は無い。 このポイントのところには詰所と低い信号柱とがあった。
     側線の左には大きな倉庫と屋根つきのクレーンがあり、その先は坑木を扱っているらしい貯木場になっている。 ここには丸太を吊るための背の高いクレーン(デリック)があった。
    貯木場の端に、道産馬の牽く小さな荷車やソリが石炭をとりにくる場所がある。
     シザーズクロッシングの脇にある一番大きな建物が事務所。
    昼間、仕事をしていないときはB6はその正面に停まっている。
    その先、ポケット寄りに使われていない石炭台がある。 70年代に我々が見た頃は、給炭にはポケット(ホッパー)に機関車を入れ炭庫に直接投下していた。 給水設備が見当たらないが、機関庫内で水道から入れていたのかもしれない。
     3線のポケットは、なかなか存在感があり、右の崖上にある選炭場に向かってかなり急勾配のコンベヤがつながっている。
    その左脇に機関庫。


『足跡 : 三井美唄35年史』から引用:
専用線よりチップラーを望む (右側建物は運輸課事務所)



  • 引用文献
    • 川島三郎「美唄の探炭計晝に就て」, 日本礦業會誌, Vol.49 (No.584), 1933., pp.887-909.
    • 黒田近雄「三井美唄炭礦の現況に就て」, 日本礦業會誌 No.615, 1936