Up 坑道・車輌 作成: 2023-12-22
更新: 2024-02-18


    坑内構造の概要
      大森 (1968), p.19
    同鉱は通洞〈水平坑道〉によって開坑し, 当時坑内は一区, 羊歯帯の2部内に区分されていた。
    選炭機チプラー附近の電車ホームより坑外電車線を1,235米で通洞坑口に達し, 是より2.365米で坑内通洞終点に至ったが,此処で美唄屠の三番屠に着炭していた。
    此の通洞終点よりぞれそれ一区方面, 羊歯帯方面行きの電車線に分岐し,羊歯帯電車線の終点迄は通洞終点より1,335米, 一区電車線終点迄は1,530米あった。
    此の主要幹線は,8屯並に10屯架空[線]式電気機関車により,人車並に石炭,資材の輸送を行っていた。
    又主要電車線坑道の各所には坑内貯炭ポケットを設け,各切羽から筑内ポケット迄の石炭輪送にはベルトコンベヤーを使用していた。
    羊歯帯斜坑には400馬力のダブルドラム捲揚機を設置して,採掘した石炭を通洞電車線迄捲卸していた。


    斜坑・通洞
      『足跡 : 三井美唄35年史』, pp.19,20
    三井時代に入って先ず着手されたのが,坑内よりの石炭搬出方法の改革である。
    従来の各坑手選場より坑外エンドレスによっていたのを電車線運搬に切り替えたのである。
    これは,各斜坑底をつなぐ一大ルートの堅入坑道(奥沢通洞)の掘さくが昭和4年6月に始り,翌年壁面へのセメント吹蒼,6年に総延長 2033M の地底の大動脈が完成し,黒ダイヤが電車で地表へ搬出されるようになった。
    また同6年には貨車の引込線が開通し,運転を開始し, 切羽と消費場との直結がなった。
    坑内機械化の第一歩チエンコンベヤーや捲揚機は,昭和6年に始めて運転された。
    切羽では石炭を戸樋の中で,片磐では木製炭車に石炭を入れて手押して出し,坑外ではエンドレスロープで積込場へ運搬し,選炭機ではジンガーが一台あって水洗をしていた。
    昭和3・4 年の動力は全部蒸気力であり. 坑内排気の巨大な塔が立ち,ポツポツと湯気を吐いていた。 これが電力に切り替えられたのが昭和5年から8年にかけてである。


黒田 (1936), p.521
(炭層が含まれる地帯をグレーで,通洞と第一斜坑のつがなりを赤で,それぞれ着色)


    通洞坑口の位置
     川島 (1932), p.892
    ‥‥‥ 三番層の深部に當る峯延向斜軸の標高は,研究の結果,海抜120米 (省線準以上94.3米) の地點にあると豫想せらるゝを以て,此標高地點に通洞坑口を設定するを以て最も有利なりとす。
    然るに一の澤方面に於て多少の平地をなし、最も坑口に適すると思はるゝ個所は,一の澤と奥澤との分岐地點にして,其標高140米 (省線準以上114.3米) なり、 此地點に抗口を開く時は,2,300米内外にして三番暦に到達ずる見込なり、
    若し之れより標高僅かに下るも,地形の關係並に向斜軸附近に於ける地層の傾斜緩なる關係として,坑道の延長著しく増大するの不利あるを以て、炭量に於て多少の犠牲は免れざるも,現在の位置に抗口を選定したり。

川島 (1933), p.892


    主要運搬坑道
      川島 (1932), p.895
     通洞の着炭後,引績き炭層の下磐砂岩中に於て第一斜坑、第二斜坑及第三斜坑の坑底に向つて主要運搬坑道を掘墾す、
    此等の運搬坑道は,更に進んで第四、第五斜坑とも連絡すべきものにしつ必要なる點迄掘進を継続す、
    其加脊 4.24m×2.73mのアーチ型複線坑道にて,掘鑿方法は通洞に於て述べたる如し。
    而して通氣用連延は,炭層中に之と平行に掘鑿せる坑道を利用するを以て,岩磐中の主要坑道は単坑道にて掘鑿するを得るなり。
     岩壁面は全部ガンナイトを以て被覆し、軌條は22瓩にして電車線を架設し電氣機關車を通ず。


川島 (1933), p.895


    坑外電車軌道
      川島 (1932), p.896
     通洞口と選炭場とを連絡する複線電車軌道を,一の澤に沿ひ其南岸丘陵地に布設す、
    延長1,350米,平均傾斜1/92なり、
    之れが輸車路上家(うわや)は亜鉛引鐵板葺複線にして、之れに断面積110平方粍の溝付電車線を架設し,軌條は22瓩を用ふ。


    通気
      川島 (1933), p.901
     通洞坑口と各斜坑口との高低差は230米以上なるを以て,此の高低差を利用する、 自然通氣法によるときは動力を要せず、最も経濟的方法なりと錐も,春秋二回氣候変換季に於て通氣不良に陥り作業に支障を來す虞あるを以て,各斜坑口に適當の主要扇風機を据付け,通洞を入氣としつ常時通氣を行ふものとす、
    然る時は対偶式通氣として最も理想的なり。
    又局部には可搬式小型扇風機を使用す。

      黒田 (1936), pp.523
     通気は第3坑では炭層が浅い所にあって爆発瓦斯は少しもたく、各坑道は露頭に貫通して居るので,自然通風であるが、第2坑、第1坑、第4坑の各坑には夫々 1,500 m3 60 HP, 3,000 m3 120 HP, 3,000m3 120 HP の主要扇風機を常時運転して,各斜坑本卸及通洞坑口が入気である。
    掘進箇所の通気は風管通気又は局部扇風機を使用して居る。


    排水
      川島 (1933), p.901
    坑内の湧水は総て斜坑より主要運搬坑道に流下せしめ,通洞を経て坑外に流出せしむるも,自然排水法に依るを以て全く排水設備を要せざるなり。

『美唄市史』,1970, p.454 から引用:
奥沢通洞



『足跡 : 三井美唄35年史』から引用:
旧四坑電車


人車 (昭和30年代)


本延坑口


電車線坑道