Up 我路 : 街並 作成: 2014-01-17
更新: 2024-01-27


『美唄百年史』, p.434 から引用:
我路に入る (その先に美唄炭山) ( (1914年)



白戸仁康(監修)『目で見る 岩見沢・南空知の100年』, 郷土出版社 , 2004 から引用:
互楽館 (1918年)



『美唄市史』, 1970 から引用:
番町南側の山から北方を望む (1922年)
(左が美唄,右が美唄炭山)


『美唄市史』,1970, p.498 から引用:
市街地我路橋付近 (大正10年頃)



白戸仁康(監修)『目で見る 岩見沢・南空知の100年』, 郷土出版社 , 2004 から引用:
我路市街入口の寺下橋改築工事 (大正時代)


我路市街は櫻井農場の一部を造成した市街地で,美唄川が蛇行する彎曲部にあった。 上・下流部とも深く切れ込んだ渓谷で,下流部の橋はたびたび流され,大正末頃に本格的な改修工事が行われた。」


白戸仁康(監修)『目で見る 岩見沢・南空知の100年』, 郷土出版社 , 2004 から引用:
我路高台 [北斜面] から見た我路市街 (1932)
右手を流れる美唄川の左側に、通りが1条から4条まで並んでいた。
2・3条間に白い帯のように見えるのは美唄鉄道の線路。
昭和4年の市街大火で204戸を焼失したが、不況のなか復活した。
遠くに見える建物は三菱美唄炭鉱住宅街の一部。

我路市街(昭和10年頃)(美唄市郷土史料館所蔵)



白戸仁康(監修)『目で見る 岩見沢・南空知の100年』, 郷土出版社 , 2004 から引用:
互楽座(1940)(美唄市郷土史料館所蔵)
映画・芝居の常設館。
大正7(1918)年に互楽館として誕生。
昭和4(1929)年の我路市街大火後,再建され互楽座と改称。

『美唄市百年史』, p.1044 から引用:
我路市街 (1955年)