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吉岡宏高『明るい炭鉱』, pp.54,55
石炭の大半は鉄道貨車で出荷され、専用の石炭貨車が用いられた。
北海道は30トン積みのセキ、九州では15トンのセム、17トンのセラという車両形式である。
「セ」は石炭車を示しており、続く後の一宇は小さい順に「ムラサキ」と区分された積載量を意味している。
石炭は、明治期から1970年まで鉄道貨物の品目別輸送量で常にトップの座にあり、最盛期の1961年には、総輸送量の20%にあたる4195万トンを運んでいた。
北海道炭の4分の3は石狩炭田から産出されるため、炭田の中央に位置する岩見沢駅は石炭輸送の中心的存在となり、岩見沢は「鉄道のまち」として発展した。
岩見沢駅には、東北以北最大の操車場があり、石狩炭田から産出された石炭に加え、道内各地から運ばれた一次産品を中心とする貨物が集結し、小樽・札幌方面の函館本線と、室蘭方面の室蘭本線に仕分けられていた。
岩見沢には、機関区をはじめ車掌区・保線区・客貨車区など多くの鉄道現業区が置かれた。
特に、1968年の函館本線電化後は、岩見沢第一・第二というこつの機関区に、合わせて約70両 (うち蒸気機関車約50両) の機関車が配置されていた。
夕張炭が合流しさらに輸送量が増す追分駅から、北海道最大の石炭積み出し港であった室蘭駅までの約100キロメートルは、大半が平坦で直線の区間だったため、2400トンを牽引する石炭貨物列車 (セキ車は30トン積だが貨車自重も含め最大54両編成、列車の長さは約500メートル) が運転されていた。
筑豊炭田の大動脈である直方〜折尾間 (14キロメートル)でも1600トン牽引だったので、その1.5倍の重さを引いていた。
1960年代初頭に、北海道初の電化を計画した際に、苫小牧〜岩見沢間は札幌〜室蘭間とともに第二期工事として計画されていたほど、北海道の鉄道輸送にとって石炭は重要だったのだ。
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