Up タコ部屋 作成: 2017-12-25
更新: 2017-12-25


      川上勇治『サルウンクル物語』, すずさわ書店, 1976.
    「菊三おとの放浪」, pp.90-103
    pp. 96-99.
     樺太へ渡ってから、おれは向井一郎という偽名を使って歩いていたんだ。なぜかといったら、北洋の前金を踏み倒して樺太に渡ったんだから、警察がおっかなくてなあ。身の回り品を宿屋に預けたまま、フシコの隣り町から汽車に乗るとつかまる恐れがあるから、パスに乗って大泊まで出て来てそれから東海岸のヤマンという町まで来て、仕事をさがしていたら、ある周旋屋が「美田炭鉱という良い現場があるが、どうだお前たち、行く気があるなら前金貸してやるぞ」というから、早速六か月働くという契約書にはんこを押して前金百円ずつ借りて、その晩からぶつ通し料理屋に上って飲んだ飲んだ。半分やけくそだったんだなあ。 三日目に周旋屋に案内されて現場に着いたんだ。  
     まず現場の世話役に紹介され、周旋屋と世話役が立ち会いして試験もっこというのをやらされるんだ。おれは若くて力があったから、六十貫の目方のもっこを後棒でも先棒でも平気でかつぐんだ。瀧沢もおれも合格した訳だ。それが終って、周旋屋はおれたちの身の代金を受け取って帰って行く。おれたちは錠のかかっているたこ部屋の戸口へ連れて行かれ、中にぶち込まれるというわけよ。  
     おれたちが入ったたこ部屋は大きな飯場で、一部屋で百人ぐらい入っていたな。夜中に逃げられるおそれがあるんで、戸口という戸口は全部錠をかけて、便所も風呂も食事する場所も全部部屋の中なんだ。夜九時に点呼があって、週番がいろいろ説教して、その後部屋頭にまかされて床につくんだが、二人でせんべいぶとんが一組で、夜中に便所へ行くのでも、絶対勝手に行けないだ。一回一回番兵がつくんだ。十人くらいが一本の木の枕を使っているんだが、朝四時に幹部がこの木の枕をハンマーで力一杯叩くんだ。 みんな頭が痛いもんだから一せいに飛び起きる。そうして立飯台の食堂へ行くと、どんぶりに半分くらいの麦めしと、だしの入っていないみそ汁とタクアンのシッポを一つあてに食わせるんだ。それが五分ぐらいで、すぐ戸口の錠があいてみんな外に出るんだ。  
     外はまだ真っ暗だしとても寒いんだ。飯場の前で全員整列して番号いって、一人の幹部に六人あて割当になるんだ。スコップ一丁あて持たされて、現場へ連れていかれて仕事をさせるんだが、おれは土方は何仕事でも慣れているから、仕事は大して辛くはなかったなあ。でも一日一人あたり五合の麦めしにはまいったな。腹が減って、かなわないだ。  
     朝五時に現場に出て、昼は十一時半か十二時かから作業が始まり、晩六時まで全然休みなしに働かされるんだ。体の弱い和人たちは次から次から参ってしまうんだ。幹部たちのすきを見て逃げる奴もいるが、体力が弱っているのですぐつかまるんだ。するとみんなに見せしめのため、もの凄いせっかんをするんだ。丸裸にして、ふしがたくさん出ている棒や皮のムチでメチャクチャに叩くんだ。それくらいならまだ良い方で、裸にして天井から逆さ吊りにして、下で火を焚く。苦しさに大きな声で泣いて「助けてくれ、助けてくれ」と悲鳴を上げているんだ。まったくこの世の地獄だよ、あれは。  
     幹部たちは大方やくざくずれか前科持ちで、体全身に入墨が入っているんだなあ。最初は本当におっかなかったあ。でもおれは仕事は慣れているしまじめに働くので、幹部はおれを信用して、あんまり無理な事はさせなかったなあ。  
     瀧沢は要領の良い奴で、幹部の気嫌取りも上手なので、楽な現場ばかり回されていたが、奴は逃げるのは本当に天才なんだな。二か月くらい仕事をしているうちに、とうとう逃げてしまったんだ。おれの相棒になって仕事をしていた何人かも、疲れと栄養失調で次々と動けなくなるんだ。すると医者にも見せないで、生きているうちからトロッコに積んで行って、土の中に埋めてしまうんだ。本当に残酷なもんだ。  
     八月の中頃、ちょうどお盆頃に、日高出身の宇南山(ウナヤマ)という男がおれたちの現場へひょっこりと姿をあらわしたんだな。あいつは土方にしては学のある男で、日高のあちこちの土方部屋で一緒に働いた事があるんだ。奴は下世話役という事でこの現場に来たんだな。おれがいるんでびっくりしたんだなあ。奴の口ききでおれはその次の日から幹部になったんだ。今までと違って、飯は食えるし酒も飲ませてもらえるようになったんだ。本当にあいつが来たんで、おれも助かったよ。  
     おれも幹部になったんで、たこ人夫十二人を管理するようになったんだ。炭鉱のいろいろの建物の基礎工事をするため、川から砂利を山まで運ぶんだが、運ぶのはガソリンエンジンのついたトロッコなんだ。おれたちの組はこのトロッコに砂利を入れ、背中で背負って行ってトロッコに積む作業なんだ。砂利は農家の人たちが一坪なんぼというように、請負いで取っているんだ。おれはたこたちがかわいそうでどうにもならないから、農家に頼んでジャガイモを分けてもらって、石油カンに入れて皮のまま煮て食わせたら、奴等喜んでなあ。おれは毎日焚火して、石油カンで芋ばかり煮て、たこの監視をしたもんだよ。  
     そのうちにだんだん日がたって、おれの期限が終わったんだ。十一月二十日にこのたこ部屋を出たのだが、おれが使っていた連中はみんな泣いてな。「向井さんのおかげで、本当に助かった」といってよ。おれの使っていた連中は期限はまだまだ長い奴等だったが、宇南山に頼んで「あまり無理使いしないようにな、よろしく頼む」と言ってやったよ。その後あいつらどうしたかなあ。

      土木部屋 (「たこ部屋」)