Up 南美唄駅 作成: 2024-01-08
更新: 2024-02-28


南美唄支線

      『美唄市史』,1970. pp.567,568
     昭和6年12月,三井美唄炭鉱の石炭輸送線が完成と同時に開設され,美唄駅長の管轄下で一般貨物のみを取り扱っていた。
    昭和19年1月5日一般駅に昇格し,旅客の取扱いが行なわれるようになった。

『美唄市百年史』, p.824 から引用:
1932年



美唄市「行政資料室のページ」から引用:
昭和40年代



      Wikipedia「南美唄駅」
    1953年 (昭和28年) 12月?:三井練炭美唄工場設置、当駅裏に積込場が設けられ、積込線敷設。

      Wikipedia「練炭」
    終戦後、1950年代から60年代にかけ、練炭の利用は最盛期を迎える。
    当初は練炭式の煙突付きストーブや、練炭式の風呂の湯沸かし器など様々な製品バリエーションがあったが、「上つけ練炭コンロ」の発明以降、練炭コンロでの練炭利用が中心になっていった。
    当時の日本は、都市ガス敷設地域外(日本の国土面積の95%以上に相当)のほとんどでは練炭を中心として、薪、石炭、木炭などが一般的な家庭用燃料として利用されていた。
    しかし1960年代以降から70年代中盤にかけて、社会に急激に液化石油ガス(プロパンガス)や灯油が普及するに従い、練炭が担っていた利用用途が、それらへと置き換えられていった。
    練炭製造販売会社や、町の薪炭店の多くもこの時期を境としてプロパンガスや石油を流通販売の中心とする業態になっていった。

「OK元学芸員のこだわりデータファイル」サイトから引用:
    左奥に平商店 (文房具・玩具)。──この建物の右は下り坂になっていて,もう一つの文具店の田村文具店があった。
    右は,三井練炭美唄工場のホッパー (石炭を貯蔵し,石炭貨車に石炭を上から注ぎ入れるようにした建物)。


国土地理院空中写真 (1962)