Up 労働組合 作成: 2024-01-15
更新: 2024-01-15


      『美唄市史』,1970. pp.681-
     北海道における労働運動は,明治32年(1899) に,片山潜などの指導者が来道して,労働組合の必要性を説いているが,組織的な運動は明治40年(1907) ころから始まっている。
    特に南助松の指導によって行なわれた足尾銅山の争議が,全国へ波及し,北海道でも夕張や幾春別炭鉱の賃上げ要求のためのストライキや幌内炭鉱の争議が,その先がけとなった。
     美唄の炭鉱も,この影響を多少受けたが,会社側の労務管理がきびしいため大きな進展はみられなかった。
    ただ,他の炭鉱における労働運動が活発になるにつれて,それらの指導者は会社の監視の目をくぐって美唄に潜入するようになり,大正7年(1918) には夕張炭山から坂口鶴治が三菱美唄砿に来山し,白昼抜き打ち的に演説会を開いている。
    このような組織的労働運動とは別に,大正7年9月6日,三井美唄鉱の前身であった沼貝炭鉱で,飯場の労務者たちが待遇を不満として集団暴動事件を起こしている。
     各会社としては,管理体制の強化や組織的労働運動の阻止を企図して,大正10年10月11日に三井,三菱を交じえる全国の代表的な炭鉱経営者40名が東京丸の内の工業クラブに参集して石炭鉱業連合会を創設し,対策を協議している。
     このような状態から,会社はいっそう取締りを強化し,労働者の中で組合問題や労働運動に関して話し合ったり,組合指導者がその家を訪問しただけで,かく(馘)首の対象となり,ヤマから追放されている。
     こうしたときに,大正13年(1924) ころ三菱美唄砿で,大学教育の経歴を有する者を含めた3名の労務者が首謀して,仕繰夫の賞与獲得のため会社と交渉し,成功をおさめたが,かれらはその後消息を絶ったといわれている。
     また,無産階級政党として,大正11年7月15日,日本共産党が結成され,そのながれをくむ者が北海道にもはいり込み,炭鉱地域においては,文学同好者等によって思想がつちかわれ,さらに社会科学研究会の組織化へと発展していった。
     こうしたことから,会社における労務者の思想的動向の監視はますます厳重をきわめ,同好者による会合などは厳に取り締まられた。
     また,共産党は,大正15年に制定された「治安維持法」による結社の禁止から非合法政党として地下に潜入するようになった。
    こうして昭和6 年9月にぼっ発した満州事変を契機とする軍国主義を背景とした戦時体制下にはいると,労働運動はしだいに下火になっていった。
    まず満州事変から日華事変にかけては,労働争議の規模も全般的に小さくなり,昭和11年にはメーデーが禁止され,昭和12年,日華事変ぼっ発と同時に,労働組合自体で罷業絶滅宜言を行なっているし,12月には合法的であった左翼労働組合全国評議会も結社の禁止で解散している。
     日華事変から太平洋戦争へかけては,一部残存していた労働組合も全部解散しており,代わりに官制である大日本産業報国会が設置され,自主的な大衆による組織活動は壊滅してしまった。
    太平洋戦争中は,政治的,軍事的圧力によって表面上の労働争議は消滅し,産業戦士の名の下に労働強化がしいられた。
     ‥‥‥
     終戦直後,占領軍当局は,ポツダム宣言に基つ'き,わが国の憲法改正を中心に,政治,経済,社会,文化の全般にわたって民主化を推し進め,特に労働者を強制労働から解放し,労働組合運動の保護育成に当たった。
     当時の経済事情は,敗戦の疲労から壊滅にひんする状態になっており,また,この年は凶作に見舞われ,それまでたくわえられていた食糧も枯渇し,極度の食糧難に陥りそのうえ生産減や貿易途絶などによる生活必需品の値上りからのインフレーションなど,社会的な不安が大きくなってきた。
     特に労働者階級の生活状態はあんたんたるものがあり,団結権や争議権を与えられた労働者は労働組合を結成し,食糧や一時的な生活資金の獲得,さらに経営の民主化等を掲げて闘争にはいり,労働運動が飛躍的に進展していった。
    三井,三菱の大炭鉱を擁する美唄においても同様に,極度の食糧,生活苦に陥り,そのうえ急変して戦勝国民になった中国人労働者や朝鮮人労働者が解放されたため,戦時中の虐待の反動として,各炭鉱で、暴動が起こり,社会的な不安が増大し,生産は極度に低下していった。
    このため,打開策として労働組合の必要性が叫ばれるようになり,急速に労働組合の誕生をみるにいたった。
    11月には,三菱美唄炭砿労働組合 (美唄炭砿労働組合),日東美唄炭砿労働組合,12月には,三井美唄炭鉱労働組合と,大手の炭鉱労働組合があいついで結成され,食糧,賃金などの獲得をめざして闘争にはいった。
     日東美唄炭砿労組では,賃上げ要求が難航し,11月10日に戦後初のストライキに突入している。
    また,三井美唄鉱労組ではストライキを含めた労務課長との交渉や,全道初の生産管理にはいっている。
    その他官公労や中小企業でもその機運が盛り上がり,着々組合設立の準備が進められていった。